板列八幡神社
社 号 板列八幡神社
式内社 丹後国與謝郡 板列神社
読み: 古 イタツラ、現 いたなみ
江戸時代は「稲荷神社」と称していた
所在地 京都府与謝郡与謝野町男山178
旧地名 丹後国與佐郡
主祭神 誉田別命(=応神天皇) 息長足姫命(=神功皇后) {稻乃売神|いなのひめ}(=豊受大神の別名)
例祭日 ^5^月^1^日
****社格等****
古代社格制度 『延喜式神名帳』式内社
近代社格制度 旧村社
創建年 不詳(伝:平安時代中期)
本殿様式 神明造
境内摂末社(祭神) 少彦名神社 竈神社 中津彦神社 加舞満久神社 稲荷神社 宇佐神社 瑞若宮神社 高良神社 三田神社 猿田彦神社
文化財 木造女神座像2体(重要文化財)
****歴史・由緒等****
平安時代中期の創建と伝えられており、現在の社殿は天保5年(1834)再建の神明造り。祭神は誉田別命(応神天皇)と、息長足姫命を祭り、非公開だが平安時代の木造女神座像2体(重文)が残っている。
式内の板列神社はもと当字西端の加舞満久に鎮座していたが社殿が荒廃したので当社(八幡宮)に併合し、それ以来板列八幡と称するようになったという伝承がある。
****地名・地誌****
地名の由来は平安期に当地へ小野仁海が山城男山の八幡を勧請した(板列八幡神社)ことによるといわれる。すぐ隣には丹後国分・国分寺の地名から丹後国府の最有力候補地ともされている。丹後ではめずらしいといわれる整然とした条里制地割も残り、小字名に丁後田・国住・町田・鍵町・郡分・惣役・かわらけ田などもある。府道53号は間人街道の古道。
江戸期~明治22年 宮津藩領男山村
寛文6~9年と延宝8年~天和元年は幕府領
明治22年 岩滝村
大正10年 岩滝町
平成18年 与謝野町
宮津湾沿岸における前方後円墳としては、岩滝町男山、現在の京都府立与謝の海養護学校の付近に、推定全長七四メートルの法王寺古墳がかつて所在した。後円部は、過去に大きくえぐり取られており、昭和四十四年の調査段階ではかろうじて前方部のみが旧状をとどめる状況であった。『宮津市史』
一口メモ
板列稲荷神社東1kmの男山に同じく板列神社論社の八幡神社がある。都合でこちらには参拝できなかった。
当八幡神社の創建は平安中期とされ、式内の板列神社はもと当字西端の加舞満久に鎮座していたが社殿が荒廃したので当社(八幡宮)に併合とあるのでこの地にはもともと式内板列神社とは別に八幡神社が創建されたらしい。併合したのはいいのだが、ただ、社 号標は「式内 板列八幡神社」となっており、八幡神社と延喜式神名帳に「板列神社」は別々なので、式内 板列八幡神社では式内社1社ととられるで八幡神社の主祭神は誉田別命(=応神天皇)であり、本来は本殿を左右に分けるか、境内社式内板列神社とし、社 号は「八幡神社」か「八幡神社・式内板列神社」と併記すべきところだと思うのだけれど。
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