桧原神社(大神神社摂社・式内 卷向坐若御魂神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 大神神社摂社 檜原神社(桧原神社)
延喜式神名帳 式内社 大和国城上郡 卷向坐若御魂神社 大 月次相嘗新嘗(論社)
読み:古 マキムクニイマス ワカミムスヒ(参考) 現 ひばら

所在地 奈良県桜井市大字三輪字檜原
旧地名 大和国城上郡

御祭神 天照若御魂神(あまてらすわかみたまのかみ・天照大御神)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉册尊(いざなみのみこと)
例祭日

社格等

(卷向坐若御魂神社 論社)

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座 286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
城上郡(シキノカミ) 35座(大15座・小20座)

創建     年代不詳

本殿様式   社殿なし(三輪山)

境内摂末社(祭神)

豊鍬入姫宮

一口メモ

大神神社から北へ約1.5km、山辺の道を進んだ右手に鎮座する。卑弥呼の墓ではないかと云われる箸墓古墳から東へ2㎞ほどの大神神社のご神体・三輪山の北に鎮座。山の辺の道のルート上にあり、眼下には右手に箸墓古墳、左手の彼方には二上山が見える。
国道169号線に桧原神社への標識があった。元伊勢は伊勢へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいう。伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神であるが、崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した同天皇が皇女である豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したと伝わっている。その経緯は『古事記』にはこれを欠くものの、『日本書紀』で簡略に、『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳述されている。また、外宮の祭神である豊受大御神は、「記紀」に記載を欠くものの、『止由気宮儀式帳』や『倭姫命世記』によれば雄略天皇の時代に天照大御神の神託によって丹波国(丹後国)から遷座したと伝えられている。

丹後宮津市の元伊勢籠神社摂社真名井神社や福知山市大江町の皇大神社・豊受大神社などで馴染み深い。檜原神社は最初の元伊勢である倭笠縫邑とされる候補になっているので明日の伊勢神宮参拝の前日でもあり、ぜひ訪れてみたかった神社だ。細い山の辺の道コースを登ると道の側に神社が見えたので、近寄ってみると別の社で、神社付近の案内地図を見ると桧原神社はすぐ先にあるようだ。

帰りは駐車場の前の参道から細い道を下りた。集落の中を曲がりくねっていて軽四でも苦労する。大型車はやめたほうがいい。

歴史・由緒等

(元伊勢)桧原(ひばら)神社と
豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)の御由緒

大神神社の摂社「桧原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。

第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿」(どうしょうきょうでん)でお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎主)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑」(やまとかさぬいむら)に「磯城神籬」(しきのひもろぎ)を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの桧原の地であり、大御神の伊勢御遷幸の後もその御蹟を尊崇し、桧原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。

桧原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。
萬葉集には「三輪の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、西につづく桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。

また「茅原」は、日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅原」(かむあさぢはら)の地とされています。更に西方の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳」(内行花文鏡出土・社蔵)」があります。

大神神社

「境内案内板」

社頭の〆柱脇には「(表面)大神神社摂社桧原神社、(横面)皇大神宮聖跡 倭笠縫邑」との社標柱が立っている。社殿はなく、三輪鳥居(三ツ鳥居とも)*1のみが建つ。大神神社にある三輪鳥居は、拝殿中央奥にあるため見ることが出来ないが、当社では見ることができる。向かって左手には昭和61年(1986)に奉斎された豊鍬入姫宮が鎮座する。

※延喜式神名帳に、『大和国城上郡 巻向坐若御魂神社 大 月次相嘗新嘗』とある式内社が当社というが、論社として「穴師坐兵主神社」(桜井市穴師町)があり、当社が式内社かどうかは不詳。祭神・鎮座由緒などからみて、当社を式内社とするには無理があるらしい。

それはそれとして、あまりにも古くて分からない神話の事実をどうこういうよりも、その神話の伝承に浸ってみる方がいい。

*1 三輪鳥居(三ツ鳥居ともいう)
1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたもので、奈良県桜井の大神(おおみわ)神社にみられる。三光(さんこう)鳥居。

元伊勢

ウィキペディアにによると、

元伊勢(もといせ)は、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいう。

伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神であるが、崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した同天皇が皇女である豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑(やまとかさぬいむら)に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したと伝わっている。その経緯は『古事記』にはこれを欠くものの、『日本書紀』で簡略に、『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳述されている。また、外宮の祭神である豊受大御神は、「記紀」に記載を欠くものの、『止由気宮儀式帳』や『倭姫命世記』によれば雄略天皇の時代に天照大御神の神託によって丹波国(丹後国)から遷座したと伝えられている。

元伊勢皇大神宮 倭(大和)の笠縫邑(紀元前33年)候補地

檜原神社(大神神社摂社) 奈良県桜井市三輪
巻向坐若御魂神社(穴師坐兵主神社右殿) 奈良県桜井市穴師
奈良県桜井市茅原あたり
笠縫神社(多神社境外末社) 奈良県磯城郡田原本町秦庄(秦楽寺境内)
志貴御県坐神社付近 奈良県桜井市金屋
笠山荒神宮 奈良県桜井市笠
天神社 奈良県桜井市小夫
飛鳥坐神社 奈良県高市郡明日香村大
  
注連柱                     南側しめ縄・注連柱


手水鉢                  


神社案内

  
三輪鳥居(三ツ鳥居)

  
境内末社 豊鍬入姫宮           神社のある三輪山の北からの眺め

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考


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