県社 柏原八幡神社
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概 要
社 号 柏原八幡神社
読み:かいばらはちまん
所在地 兵庫県丹波市柏原町柏原八幡山400-1
旧地名 丹波国氷上郡柏原郷
主祭神
誉田別命(応神天皇)
配祀神 息長足姫命(神巧皇后)、姫三柱之命(ひめみはしらのみこと)*1
社伝には素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御霊を鎮祭したのに始まるとある。
*1 姫大神・比売神・姫三柱之命
主祭神の妻・娘といった関係の深い女神を指しており、特定の神を示しているわけではない。
例祭日
厄除大祭(2月17日、18日) 平安時代から約千年の歴史を誇るとされ、毎年約3万人が訪れる。北近畿随一のにぎわいといわれる。
社格等
近代社格制度 県社
創建 万寿元年(1024年)
本殿様式 三間社流造、檜皮葺 再建天正13年(1585)
境内摂社(祭神)
厄除・住吉・春日・香良・八坂・西宮 の各神社
文化財
複合社殿(本殿と拝殿) 国の重要文化財
三重塔 江戸時代後期(1813年) 兵庫県指定文化財
銅鐘 康応元年(1389年)と天分12年(1543年)の二つの年号 兵庫県指定文化財
一口メモ
丹波の厄神さんとして丹波は元より、但馬や県下でも有名な八幡神社。今回で3度め。前回は42歳の厄除けに参拝した。13年ぶりだ。
歴史・由緒等
舒明天皇の御代(629~641)、出雲の連なる人が入船し、山上に素盞嗚尊の御神霊を鎮祭したのが創始である。
万寿元年(1024)に京都石清水八幡宮の別宮として創建された神社で、創建当時の建物は南北朝の貞和元年の戦乱(1345)で焼失し、その後再建された社殿も天正7年(1579)明智光秀の丹波攻めの時に炎上。
現在の社殿は天正13年(1585)に羽柴秀吉によって造営されたもので、三間社(ミツマシャ)流れ造りの本殿と、入母屋造(イリモヤヅクリ)の拝殿とが接続した複合社殿を形作っており、国の重要文化財に指定されている。
明治6年(1873)郷社に列せられる。同33年(1900)県社に昇格す。
本殿背後には、神仏習合の名残である釣鐘と三重塔がある。
鐘楼には、康応元年(1389)と元文12年(1543)の二つの年号が刻まれた銅鐘があり、秀吉が大砲に鋳(イ)なおすために集めたものの一つで、兵庫県指定の文化財
三重塔
応仁2年(1469)建立され、戦乱で焼失。その後元和5年(1619)再び焼失。文化13年(1816)再建。兵庫県指定の文化財。
-「兵庫県神社庁」-
境内・社叢
一の鳥居 参道右手鳥居横の境内社
石段手前境内社 参道
参道 参道社務所横の境内社
手水舎 二の鳥居
境内入口 拝殿
複合社殿(本殿と拝殿)
拝殿前の狛犬
境内案内板
三重塔・銅鐘 本殿右手奥の境内社 神社(丹波の厄神さん)
本殿横の境内社
社務所 鳥居前駐車場の神拝所
地名・地誌
柏原(かいばら)
丹波柏原藩
丹波柏原藩(たんばかいばらはん)は、丹波国氷上郡柏原(現在の兵庫県丹波市柏原)に存在した藩。藩庁は柏原陣屋に置かれた。織田信長の弟・織田信包は慶長3年(1598年)6月、伊勢国安濃津から柏原3万6000石に移封された。これが柏原藩の立藩である。信包は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に与したが、戦後は改易されずに済み、大坂城で豊臣秀頼に仕えた。
明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により柏原藩は廃藩となり、柏原県となった。
11月2日 – 第1次府県統合により但馬国生野県、出石県(3万石)、豊岡県(1.5万石)、村岡県(1.1万石)、丹後国久美浜県、宮津県(7万石)、舞鶴県(3.5万石)、峰山県(1.1万石)、丹波国篠山県(6万石)、福知山県(3.2万石)、柏原県(2万石)が統合され、丹後国、但馬国および丹波国西部に改めて豊岡県が発足。
1876年(明治9年)8月21日 – 第2次府県統合により、但馬国と丹波国氷上郡・多紀郡を兵庫県に、丹後国と丹波国天田郡を京都府に合併。同日豊岡県廃止。
1869年(明治2年) 町村制施行により柏原町と新井村(にいむら)が設置される。
柏原町
1955年(昭和30年)10月1日 両町村が合併し、新しく氷上郡柏原町が誕生。
2004年(平成16年)11月1日に氷上郡6町が合併し丹波市が誕生したことにより消滅、旧町域は丹波市柏原町となった。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「兵庫県神社庁」・丹波市観光協会・「播磨屋さん」
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