石宮神社(式内 完道神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 石宮神社
読み:いしみやじんじゃ
江戸時代は「祇園社」と称していた
延喜式神名帳 式内社 出雲国意宇郡 完道神社
読み:古 シゝミチ 現 いしのみや
所在地 松江市宍道町白石字森脇638
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
例祭日 10月16日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国:大2座・小185座
意宇郡(オウ):48座(大1・小47)

『出雲国風土記』「宍道社」

近代社格制度 旧村社

完道神社の論社は3箇所。
石宮神社 松江市宍道町白石字森脇638
大森神社 松江市宍道町佐々布字大森738
氷川神社に合祀の三崎神社 松江市宍道町大字龍臥山858

創建     年代不詳
本殿様式   本殿なし

境内摂末社(祭神) 熊岩神社 他

文化財

犬石・猪石 松江市指定文化財

一口メモ

松江市宍道町の中心部の東の谷間。すぐそばに山陰自動車道路が走っている。道路に石宮神社への案内表示が多いのでわかりやすい。大きな神社なのかと思うと意外とこじんまりした社域であるが、人里近くなのに巨石がごろごろとあり、本殿がなく御神体の犬石(磐座)が祀られている。式内 完道(宍道)神社も論社が3社あり、大森神社とどちらが式内 完道(宍道)神社なのかと気になっていた神社。

歴史・由緒等

『延喜式神名帳』より前の記録である『出雲国風土記』に「宍道社」と記されており、そのあとに『延喜式神名帳』に完道神社とあるのは、完道という地名がないため、おそらく「宍道」の誤記だろう。式内完道神社とするとこの地域を代表する宍道という名前と当社の意味合いが分かりにくいので、以降は式内 宍道神社とする。

天平5年(733年)に記された古代出雲の地誌「出雲国風土記」には、宍道の地名の由来を伝えるもので、この犬石、猪石の物語が取り上げてあります。
これを現代ふうにすると、
「出雲の国を治めておられた大穴持命(大国主命)が犬を使って猪狩りをされました。
この追われていた二匹の猪と犬は石となって今でも南の山に残っています。この古事より(猪のとおった道という意味から)この地域を猪の道=宍道と呼ぶようになりました。」というものです。
鳥居の両側の巨石が猪石に、神社拝殿後ろの石(ご神体)が大石にあてられています。
※出雲国風土記は、天平5年(733年)に記された古代出雲の地誌です。その内容は国-郡-郷などの地名起源、郷-駅家、寺院-神社なとが詳述されています。現存する五力国の風土記のうちで唯一完備したものであり、極めて史料価値の高いものです。
平成4年3月31日
宍道町教育委員会

「社頭掲示板」

境内・社叢

  
社号標・鳥居                   社号標


社頭掲示板


手水

  
猿石 参道両脇にある二体 奥にももう一つ巨石がある

   
狛犬 来待石の構え獅子型

  
拝殿(石垣の上で前が狭い。前の道路改修で削られたのかも知れない)

  
拝殿真後ろに御神体の犬石

  


裏手に境内社三社

  
社頭掲示板に上にも境内社が載っていたので探したけれどその場所に祠はなかった

地名・地誌

宍道(しんじ)

『出雲国風土記』宍道郷(ししじ)
風土記に宍道(ししぢ)の郷として語られる。宍道は、ご存知の宍道湖の名前にもなっているところ。

宍道町には、町名の由来になったといわれる「猪石(ししいし)の神話」なるものが存在し、その神話の舞台装置となる「猪石」の候補となっているのが、宍道町白石にある「女夫岩(めおといわ)」と呼ばれる巨石で、もうひとつの候補が、同じく白石にある「石宮(いしみや)神社」の神体石と鳥居の脇に鎮座する2つの巨石ということだ。

-『出雲歴史博物館』より-

おおよそ、現在の松江市宍道町の西半分にあたります。「宍道(ししじ)」の地名は、大国主命(所造天下大神命−あめのしたつくらししおおかみ)に追いかけられた猪(しし)が、石になってこの地に残っていることからつけられました。出雲国風土記では、これを「猪の像(ししのかた)と呼んでいます
同町白石には、「夫婦岩(めおといわ)」と呼ばれる高さ4.5mの巨岩があり、いまでも信仰されています。また、「夫婦岩」の北にある石宮神社にも巨石が御神体になっています。いまのところ、どちらが「猪の像」か定説はありません。

「島根県教育庁文化財課世界遺産室」

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考


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