およそ2000年以上の歴史を誇る神社の歴史は実にさまざまで、各時代には、勿論、社格制度というものを設け、神社の格式の体系化を図る作業というものが何度か行われて来ました。よく、「○○国一宮(いちのみや)」と呼ばれるものを耳にしたことのある方もいらっしゃると思いますが、これもそうした中世の社格制度のひとつとなります。
しかし、日本の神社に対する社格制度は、基本ひとつの永久体系に則ったものではないため、幾つかの種類が存在します。然も、当時を示す文献が不十分なため、一体その神社を現在のどの神社が指すのかといった論争も各所で行われたところもあって、場所によっては、複数の神社が、その社格を自認するといったケースまで存在します。そのため、非常に複雑かつ分かりにくいのが、神社の社格制度となってしまいます。ただ、こうして登場する神社は、やはり相応の歴史が認められるため、非常に格式高い神社が多いの事実であるため、参拝する上での、ひとつの参考とするのも楽しみのひとつです。
大きく社格と呼ばれるものに「式内社」というものがあります。そして律令制が崩壊後は、武家社会が台頭するにつれて、新たな社格制度が誕生します。それが、「二十二社」制度と「一宮」制度です。明治時代近代最後の社格としては、仏教との習合により、より複雑化した神社も神仏分離令の名のもと、近代官社制度として再編成が実施されます。
社格(しゃかく)とは、神社の格式。祭政一致に基づき、朝廷などにより定められる。
時代別に、上古社格制度・古代社格制度・中世社格制度・近代社格制度・現代の制度の5つに区分されている。
(詳細は別途)
天津社
天津神を祀る神社。
国津社
国津神を祀る神社。
大宝元年(701年)の大宝律令によって規定された。古代において、どの神社が官社であったのかは断片的にしか明らかではないが、律令時代末期の法令『延喜式』(延長5年(927年))が現存しており、ここに官社リストが掲載されている。
『延喜式神名帳』に記載されている神社を式内社(しきないしゃ)といい、『延喜式』の時代に明らかに存在していても延喜式神名帳に記載されていない神社を式外社(しきげしゃ)という。式内社は2861社が記載。
一宮・総社(惣社) ・国司奉幣社・二十二社がある。
明治維新の後、延喜式による社格にならって新たに作られた社格制度。官社(官幣社と国幣社)と諸社(民社=府県社・郷社・村社)、無格社に分ける。
戦後に神社が国家管理を離れると社格制度も廃されたため、現代では社格というものは存在しない。但し、古代以降の制度上の呼称が社格のようなものとして扱われる場合がある。「式内社」や「一宮」がその例であり、また近代社格制度における社格が「旧社格」として表される場合である。
その他包括宗教法人である神社本庁の場合、包括している神社の中から撰定した別表神社や、各都道府県神社庁によって独自に定められた制度上の呼称があり、いずれも事務手続きにおいて他の神社と異なる扱いを要するものとして位置付けられているに過ぎないが、これらが1種の社格のように捉えられる場合もある。
参考:ウィキペディア
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