神社へ行くと鳥居の傍らに神社の名前が刻まれた石柱が建てられています。これを社号標といいます。
延長5年(927年)、延喜式神名帳に記載された神社を式内社といい、このように古くからその土地の有力な神社には、難解な社号があります。だんだん使われる漢字が共通していることに気がつきました。文字がなかったものを漢字が伝わり表記するために、日本語を万葉仮名で表すようになりました。平安時代に万葉仮名はカタカナ、ひらがなへと進化しますが、社号はそのまま万葉仮名が残されているので、その神社や地域の地名をさぐる貴重でかつ面白い資料となります。
神社の名称に漢字が使われるようになったのは、現存する神社を記載した最古の延喜式神名帳が作成された平安期ですが、神社がすでに漢字で表記されていたのか、延喜式神名帳に記帳する際に万葉仮名を宛てたものかは分かりません。
漢字はすでに古事記・日本書紀・万葉集などが作成された頃であり、万葉仮名の最も古い資料と言えるのは、5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣で、「獲加多支鹵(わかたける)大王」などが漢字表記されており、辛亥年(471年)の製作として、第21代雄略天皇に推定されています。
しかし、漢字を表記することができるのは国家の役人などに限られており、延喜式神名帳によって漢字表記されたとは断定できませんが、何分、延喜式神名帳以前の資料が残っていないので分かりません。
「ウィキペディア」-フリー百科事典によれば、
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神社の名称の付け方は様々です。
■地名によるもの
最も一般的なのは地名によるものである。
鹿島神宮・八坂神社・春日神社・宗像神社・日枝神社など
地名のあとに坐を付けて「〜坐神社」というのもある。
坐神社(います、まします-ます)
出石神社は『延喜式神名帳』には「伊豆志坐神社 八座(並名神大)」
養父神社は『延喜式神名帳』には「夜夫坐神社五座(名神大二座小三座)」
■祭神名を冠するもの
稲荷神社・住吉神社・八幡神社・天満宮・丹生都比売神社など
■奉斎する氏族の名前を冠するもの
倭文神社など
■祭神に関連する語句を冠するもの
平安神宮・八重垣神社など
■祭神の座数によるもの
六所宮・四所・三柱神社など
また由来が不詳である神社名も少なくありません。稲荷神社や八幡宮など全国に広く分布するものは、それらの社名にさらに地名を冠することが多くあります。
伏見稲荷大社・石清水八幡宮など
天満宮は音読みで、八幡宮や浅間神社は音読みと訓読みの場合がありますが、音読みで社号を読むのは仏教の影響です。天満宮は祭神である天満天神が仏教の影響を受けているため、漢語の社名となっています。八幡宮と浅間神社はいずれも本来は「やわた」「あさま」と訓読みしていましたが、神仏習合のもと仏教の影響で、音読みが定着しました。
なお、原則として全ての神社を「〜神社」(宮号・神宮号を除く)と称するようになったのは近代(明治)になってからです。明治までは、「〜明神」や「〜権現」などと神名を社号としたところや、「〜稲荷」「〜八幡」と「神社」の部分が省略されたところ、「〜社」としたところなどがありましたが、全て原則として「〜神社」と称することになりました。
もっと遡れば、訓読みでは神社(かむやしろ)と読まれていたものですが、音読みで「じんじゃ」となっています。
これを権現号の使用禁止と関連させて、排仏政策によるという指摘もあるが、むしろ国家が管理するうえでの都合によるといえるでしょう。
近代においては終戦まで神社はいわば国家の施設であり、法令上の規則により、「神社」と認められるのに設備や財産などの条件があり、条件に満たないものは「神社」とされなかったのです。
神社の参道入口に神社の名称を表記した社号標が建てられています。
社号とは、国家の管理下に置かれる神社に与えられた固有名の部分を除いた「神社」「大社」「宮」などのことです。
たとえば「延喜式内(式内) ~神社」「但馬国一宮 出石神社」など。
社号に特別な基準はなく、一つの神社が状況によって異なる呼ばれ方をすることもありました。
明治時代に神社が国家の管理下に入ると、公認されたもののみが「神社」を名乗り、大社・神宮などを名乗るには勅許などが必要とされました。終戦後には政教分離により国家、皇室が神社に直接関与しなくなったため、特に許可がなくても、大社、神宮を名乗れるようになりました。
伊勢神宮に代表される「神宮」号は7世紀まで遡る古いもので、由緒が皇室神話に関わるごく少数が神宮と名乗ることを許されました。明治時代には、単に「神宮」といえば伊勢神宮を指しました。明治天皇を祀る明治神宮が創建されると、他の天皇を祀る神社も順次神宮に昇格しました(橿原神宮・平安神宮など)。こうして、歴史上の人物を祀る神社で、天皇を祀るものを「神宮」、皇族を祀るものを「宮」、功臣等を祀るものは「神社」とされました。
大社は江戸時代までは杵築大社(現出雲大社)・熊野大社(いずれも島根県)の二社が名乗っていましたが、明治時代から1945年(昭和20年)までは大社を名乗るものは出雲大社のみでした。戦後は旧官幣大社・国幣大社・官幣中社の神社のうち26社が大社を名乗っていました。
現在、大社を名乗っている神社は上記の二社のほか、気多大社(石川県)、諏訪大社(長野県)、南宮大社(岐阜県)、三嶋大社・富士山本宮浅間大社(静岡県)、多度大社(三重県)、日吉大社・多賀大社・建部大社(滋賀県)、松尾大社・伏見稲荷大社(京都府)、住吉大社(大阪府)、春日大社・龍田大社・広瀬大社(奈良県)、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社(和歌山県)、宗像大社・高良大社(福岡県)など。
種類
1. 字音を借りたもの(借音仮名)
・一字が一音を表すもの
全用 以(い)、呂(ろ)、波(は)、…
略用 安(あ)、楽(ら)、天(て)、…
・一字が二音を表すもの
信(しな)、覧(らむ)、相(さが)、…
2. 字訓を借りたもの(借訓仮名)
・一字が一音を表すもの
全用 女(め)、毛(け)、蚊(か)、…
略用 石(し)、跡(と)、市(ち)、…
・一字が二音を表すもの
蟻(あり)、巻(まく)、鴨(かも)、…
・一字が三音を表すもの
慍(いかり)、下(おろし)、炊(かしき)
・二字が一音を表すもの
嗚呼(あ)、五十(い)、可愛(え)、二二(し)、蜂音(ぶ)
・三字が二音を表すもの
八十一(くく)、神楽声(ささ)
ア行 | カ行 | サ行 | タ行 | ナ行 | ハ行 | マ行 | ヤ行 | ラ行 | ワ行 | ガ行 | ザ行 | ダ行 | バ行 | |
ア段 | 阿安英足 | 可何加架香蚊迦 | 左佐沙作者柴紗草散 | 太多他丹駄田手立 | 那男奈南寧難七名魚菜 | 八方芳房半伴倍泊波婆破薄播幡羽早者速葉歯 | 万末馬麻摩磨満前真間鬼 | 也移夜楊耶野八矢屋 | 良浪郎楽羅等 | 和丸輪 | 我何賀 | 社射謝耶奢装蔵 | 陀太大嚢 | 伐婆磨魔 |
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イ段(甲類) | 伊怡以異已移射五 | 支伎岐企棄寸吉杵來 | 子之芝水四司詞斯志思信偲寺侍時歌詩師紫新旨指次此死事准磯為 | 知智陳千乳血茅 | 二人日仁爾迩尼耳柔丹荷似煮煎 | 比必卑賓日氷飯負嬪臂避匱 | 民彌美三水見視御 | 里理利梨隣入煎 | 位為謂井猪藍 | 伎祇芸岐儀蟻 | 自士仕司時尽慈耳餌児弐爾 | 遅治地恥尼泥 | 婢鼻弥 | |
イ段(乙類) | 貴紀記奇寄忌幾木城 | 非悲斐火肥飛樋干乾彼被秘 | 未味尾微身実箕 | 疑宜義擬 | 備肥飛乾眉媚 | |||||||||
ウ段 | 宇羽于有卯烏得 | 久九口丘苦鳩来 | 寸須周酒州洲珠数酢栖渚 | 都豆通追川津 | 奴努怒農濃沼宿 | 不否布負部敷経歴 | 牟武無模務謀六 | 由喩遊湯 | 留流類 | 具遇隅求愚虞 | 受授殊儒 | 豆頭弩 | 夫扶府文柔歩部 | |
エ段(甲類) | 衣依愛榎 | 祁家計係價結鶏 | 世西斉勢施背脊迫瀬 | 堤天帝底手代直 | 禰尼泥年根宿 | 平反返弁弊陛遍覇部辺重隔 | 売馬面女 | 曳延要遥叡兄江吉枝 | 礼列例烈連 | 廻恵面咲 | 下牙雅夏 | 是湍 | 代田泥庭伝殿而涅提弟 | 弁便別部 |
エ段(乙類) | 気既毛飼消 | 閉倍陪拝戸経 | 梅米迷昧目眼海 | 義気宜礙削 | 倍毎 | |||||||||
オ段(甲類) | 意憶於應 | 古姑枯故侯孤児粉 | 宗祖素蘇十 | 刀土斗度戸利速 | 努怒野 | 凡方抱朋倍保宝富百帆穂 | 毛畝蒙木問聞 | 用容欲夜 | 路漏 | 乎呼遠鳥怨越少小尾麻男緒雄 | 吾呉胡娯後籠児悟誤 | 俗 | 土度渡奴怒 | 煩菩番蕃 |
オ段(乙類) | 己巨去居忌許虚興木 | 所則曾僧増憎衣背苑 | 止等登澄得騰十鳥常跡 | 乃能笑荷 | 方面忘母文茂記勿物望門喪裳藻 | 与余四世代吉 | 呂侶 | 其期碁語御馭凝 | 序叙賊存茹鋤 | 特藤騰等耐抒杼 |
但馬国式内社を例に、次のように大きく分類してみました。
1.地名によるもの
粟鹿神社・養父神社・出石神社・気多神社・小田井神社など
2.祭神名を冠するもの
兵主神社・佐支都比古阿流知命神社・諸杉神社・御井神社・久久比神社など
3.奉斎する氏族の名前を冠するもの
倭文神社・石部神社・伊久刀神社など
引用:「ウィキペディア」-フリー百科事典