7.【祝詞】大祓詞 おおはらえのことば
天津祝詞の太祝詞事
前段の最後に「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」とあるが、その「天津祝詞の太祝詞事」の内容はどこにも書かれていない。これが何を指すのかについて、国学が興った江戸時代以降、議論されてきた。
本居宣長は『大祓詞後釈』で、「天津祝詞の太祝詞事」は大祓詞自体のことであるとする説を唱えた。賀茂真淵も『祝詞考』で同様の意見を述べている。戦前に神社を管轄していた内務省ではこの説を採用し、その流れを汲む神社本庁でもその解釈をとっている。神社本庁では、前段と後段の間には何も唱えず、一拍置くだけとしている。
しかし、「天津祝詞の太祝詞事」は神代より伝わる秘伝の祝詞であり、秘伝であるが故に延喜式には書かれなかったのだとする説もある。本居宣長の「歿後の門人」である平田篤胤は、未完の『古史伝』の中で「天照大神から口伝されてきた天津祝詞之太祝詞事という祝詞があり、中臣家にのみ相伝されたのだ」という説を唱えている。そして『天津祝詞考』にて、その祝詞は伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓をしたときに発した言葉であるとし、様々な神社や神道流派に伝わる禊祓の祝詞を研究しそれを集成した形で、「天津祝詞の太祝詞事」はこのようなものだというものを示している。篤胤が示した「天津祝詞の太祝詞事」は神社本庁以外の神道の教団の多くで「天津祝詞」として採用されており、大祓詞の前段と後段の間に唱えられるほか、単独で祓詞としても用いられている。
【祝詞 】大祓詞 おおはらえのことば
大祓詞(おおはらえのことば)は、神道の祭祀に用いられる祝詞の一つである。中臣祓詞(なかとみのはらえことば、略して中臣祓)・中臣祭文(なかとみさいもん)とも言う。
元々は毎年6月と12月の末日に行われる大祓で、犯した罪(神道の観念による「罪」であり、犯罪とは意味合いが異なる)・穢れを祓うために唱えられた祝詞で、中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから中臣祓の称がある。6月と12月では異なる文言であったが、6月の方だけが残った。
現在では大祓の際に参拝者自らが唱えるほか、神社本庁包括下の神社では毎日神前にて唱えられている。神社本庁のほか、各種の教派神道・神道系新宗教の一部でも使われているが、延喜式記載のものから内容に改変が加えられており、教団によっても多少の差異がある。
大祓詞は、内容から大きく前段と後段の2つに分けられる。
大祓詞 おおはらいのことば
たかあまはらにかむづまります すめらがむつかむろぎかむろみのみこともちてやほよろづのかみたちをかむつどへにつどへたまひ
高天原に神留まり坐す 皇が親神漏岐神漏美の命以て八百万神等を神集へに集へ給ひ
かむはかりにはかりたまひて あがすめみまのみことは とよあしはらのみづほのくにを
神議りに議り給ひて 我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂国を
やすくにとたひらけくしろしめせと ことよさしまつりき
安国と平けく知食せと 事依さし奉りき
かくよさしまつりしくぬちに あらぶるかみたちをば かむとはしにとはしたまひ かむはらひにはらへたまひて
此く依さし奉りし国中に 荒振神等をば 神問はしに問はし給ひ 神掃へに掃へ給ひて
ことどひしいはねきねたちくさのかきはをもことやめて あまのいはぐらはなち あまのやへぐもを いづのちわきにちわきて
語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別に千別て
あまくだしよさしまつりき かくよさしまつりしよものくになかと おおやまとひだかみのくにをやすくにとさだめまつりて
天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の国中と 大倭日高見の国を安国と定め奉りて
したついはねにみやはしらふとしきたて たかあまはらにちぎたかしりて すめみまのみことのみづのみあらかつかへまつりて
下津磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて
あまのみかげひのみかげとかくりまして やすくにとたいらけくしろしめさぬ くぬちになりいでむあまのますひとらが
天の御蔭日の御蔭と隠り坐して 安国と平けく知食さぬ 国中に成り出む天の益人等が
あやまちおかしけむくさぐさのつみごとは あまつつみ くにつつみ ここだくのつみいでむ かくいでばあまつみやごともちて
過ち犯しけむ種種の罪事は 天津罪 国津罪 許許太久の罪出む 此く出ば天津宮事以ちて
あまつかなぎをもとうちきりすえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたちすえかりきりて
天津金木を本打ち切り末打ち断ちて 千座の置座に置足はして 天津菅麻を本刈り断ち末刈り切りて
やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ
八針に取裂きて 天津祝詞の太祝詞事を宣れ
かくのらば あまつかみはあまのいはとをおしひらきて あまのやへぐもをいづのちわきにちわきてきこしめさむ
此く宣らば 天津神は天の磐戸を押披きて 天の八重雲を伊頭の千別に千別て聞食さむ
くにつかみはたかやまのすえひきやまのすえにのぼりまして たかやまのいぼりひきやまのいほりをかきわけてきこしめさむ
国津神は高山の末低山の末に登り坐て 高山の伊褒理低山の伊褒理を掻き別けて聞食さむ
かくきこしめしてばつみといふつみはあらじと しなとのかぜのあまのやへぐもをふきはなつことのごとく
此く聞食してば罪と言ふ罪は有らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
あしたのみぎりゆうべのみきりをあさかぜゆうかぜのふきはらふことのごとく
朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き掃ふ事の如く
おおつべにをるおおぶねをへときはなちともときはなちておおうなばらにおしはなつことのごとく
大津辺に居る大船を舳解き放ち艪解き放ちて大海原に押し放つ事の如く
おちかたのしげきがもとをやきがまのとがまもちてうちはらふことのごとく
彼方の繁木が本を焼鎌の利鎌以て打ち掃ふ事の如く
のこるつみはあらじとはらへたまひきよめたまふことを たかやまのすえひきやまのすえよりさくなだりにおちたきつ
遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ
はやかわのせにますせおりつひめといふかみ おおうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば
早川の瀬に坐す瀬織津比売と伝ふ神 大海原に持出でなむ 此く持ち出で往なば
あらしほのしほのやおあひのやしほじのしほのやほあひにますはやあきつひめといふかみ
荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す速開都比売と伝ふ神
もちかがのみてむ かくかがのみてば いぶきとにますいぶきどぬしといふかみ ねのくにそこのくににいぶきはなちてむ
持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と伝ふ神 根国底国に気吹放ちてむ
かくいぶきはなちてば ねのくにそこのくににますはやさすらひめといふかみ もちさすらひうしなひてむ
此く気吹放ちてば 根国底国に坐す速佐須良比売と伝ふ神 持ち佐須良比失ひてむ
かくさすらひうしなひては けふよりはじめてつみといふつみはあらじと
此く佐須良比失ひては 今日より始めて罪と伝ふ罪は在らじと
きょうのゆうひのくだちのおおはらへにはらへたまひきよめたまふことを
今日の夕日の降の大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を
もろもろきこしめせとのる
諸々聞食せと宣る
初音ミク 「大祓詞」
祓祝詞
祓詞
かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ
掛まくも畏き 伊邪那岐大神
つくしのひむかのたちばなのをとのあわぎはらに
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
みそぎはらへたまひしときになりませる はらへどのおおかみたち
禊祓へ給ひし時に成り座せる祓戸の大神等
もろもろのまがごと つみ けがれをあらんをば
諸々の禍事 罪 穢有らむをば
はらへたまひ きよめたまへともうすことを
祓へ給ひ 清め給へと白す事を
きこしめせと かしこみかしこみももうす
聞食せと 恐み恐みも白す
◆ 初音未来之命が二十四柱(+祓戸四柱)の神たちの名をとうとうと歌い上げ神々が次々と産まれます。
◆ この祝詞は日月神示(水の巻 第三帖⇒http://hifumi.uresi.org/10.html)に載っているものです。
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