綾戸国中神社(式内 国中神社)
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概 要
現社 号 綾戸国中神社
読み:あやとくなかじんじゃ
延喜式神名帳 式内社 山城国乙訓郡 国中神社
読み:クナカ
所在地 京都市南区久世上久世町446
旧地名
御祭神
大綾津日神(おおあやつひのかみ) …別名 大禍津日神
大直日神(おおなおびのかみ) …別名 大直毘神
神直日神(かみなおびのかみ) …別名 神直毘神
素盞嗚尊(すさのお のみこと)
調査報告は祭神素盞鳴命とし、これが国中神社の祭神か
例祭日 5月第2日曜日 例祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
乙訓郡(オトクニ) 19座(大5座・小14座)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 流造 桧皮葺
境内摂末社(祭神) なし
一口メモ
交通量の多い東西に通じる片側二車線の久世橋通(府道201号線)の東から、桂川にかかる久世橋を渡った東海道新幹線高架のすぐ北側にあるが、高架の西側と思ってぐるぐる一周し、高架手前(東側)にあるのを見逃していた。
歴史・由緒等
北方約500mの藏王堂(光幅寺)の地にあつた
何時の頃か綾戸神社に合祀された
昭和39年の新幹線開通で同境内内で移転
昔は綾戸宮と国中宮の二社に別れていたが、現在は一社殿とし、向かって左に綾戸宮、右に国中宮が祀られている。
国中神社はもともと北方約500mの藏王堂(光幅寺)の地にあつたが、何時の頃か綾戸神社に合祠されたという。
夏の祇園祭には稚児が駒形の御神体を胸に奉持して(駒形稚児)白馬にのって、八坂神社に至る。ここから祇園祭が始まる。
桂川の西岸、久世橋の西にあり、境内南は道路に面しており、西側は新幹線の高架になっている。
大綾津日神、大直日神、神直日神を御祭神とする綾戸宮は、第26代継躰天皇15年に綾戸大明神として三柱の神を御勧請され、62代村上天皇天暦9年に綾戸宮と改められ、社 号の額も70代後冷泉帝の御震筆によると伝えられている。戦国の兵火にあい宝器、旧記は焼失してしまったが上久世の里の産土神として古より氏子が崇拝するところである。
素戔鳴神を御祭神とする国中宮は、神代の頃、午頭天皇=素戔鳴尊が山城の地、西の岡訓世の郷が一面湖水のとき、天から降り給い、水を切り流し国となしその中心とおぼしき所に符を遣わし給うた。その符とは素戔鳴尊の愛馬、天幸駒の頭を自ら彫刻して、新羅に渡海の前に尊の形見として遣わし給うたのである。この形見=馬の頭が国中宮の御神体として祀られている。夏の祇園祭には稚児が駒形の御神体を胸に奉持して(駒形稚児)乗馬で供奉する。
社殿は昔は西向きの二社殿であったが昭和9年の室戸台風で倒壊したため約20m北の地に南向きの一社殿・二扉として昭和11年秋に新築。その後、拝殿、神饌所等を増築して神社としての形態を整えてきたところ、昭和39年の東海道新幹線通過のためやむなく境内地、社殿等を東に移転し現在に至っている。
「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年 「延喜式神社の調査」さんより
境内・社叢
社叢 社頭
鳥居 社号標
手水舎
拝殿
本殿
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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