若狭彦神社(古社地)境外末社 白石神社
Contents
概 要
社 号 旧白石大明神
読み しらいし
所在地 福井県小浜市下根来(しもねごり)
旧地名 若狭国遠敷郡
御祭神 若狭彦神、若狭姫神を『白石大神』または『鵜の瀬大神』とたたえて奉祀
社格等
境外社
創建 不詳
本殿様式
一口メモ
遠敷川沿いに上流方向へ走ると鵜の瀬がある。鵜の瀬から写しただけなのだが、小さな社があるだけでどうこういう神社ではないと思っていたが、白石神社は新羅神社の転嫁であるという説は知っていたので、とりあえず撮影した。
歴史・由緒等
若狭彦神社は、和銅7年(714)9月10日、
遠敷郡下根来村白石に創建され、元正天皇霊亀元年(715)9月10日、現在地へ遷座とあり、この神社はその前鎮座地。現在は、若狭彦神社境外社の白石神社となっている。
境内・社叢
鵜の瀬公園 神社覆屋
地名・地誌
鵜の瀬
史跡
「鵜の瀬」由緒記
天平の昔若狭の神願寺(神宮寺)から奈良の東大寺にゆかれた印度僧実忠和尚が大仏開眼供養を指導の后天平勝宝四年(七五三)(752年?)に二月堂を創建し修二会【しゅにえ】を始められその二月初日全国の神々を招待され、すべての神々が参列されたのに若狭の遠敷明神(彦姫神)のみは見えず、ようやく二月十二日(旧暦)夜中一時過ぎに参列された.それは川漁に時を忘れて遅参されたので、そのお詫びもかねて若狭より二月堂の本尊へお香水の閼伽水【あかみず】を送る約束をされ、そのとき二月堂の下の地中から白と黒の鵜がとび出てその穴から泉が湧き出たのを若狭井と名付けその水を汲む行事が始まり、それが有名な「お水取り」である.その若狭井の水源がこの鵜の瀬の水中洞穴で、その穴から鵜が奈良までもぐっていったと伝える.この伝説信仰から地元では毎年三月二日夜、この淵へ根来八幡の神人と神宮寺僧が神仏混淆【こんこう】の「お水送り」行事を行う習いがある.
お水送り
若狭神宮寺の閼伽井戸(あかいど)
当地の伝承では、ある年、奈良市の東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えの閼伽水を送ると約束したという。白石から下った所にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、二月堂の若狭井に通じているとされている。旧暦2月には、鵜の瀬で二月堂に水を送る「お水送り神事」が行われる。その水を受けとる祭事が二月堂の「お水取り」である。ただし、今日では、元は当社の神宮寺であった若狭神宮寺が主体となって行われている。
地 図
交通アクセス・周辺情報
鵜の瀬、「瀬にしみて奈良までとどく蝉の声」(山口誓子)の句碑がある。境内の椿群生(小浜市天然記念物)
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