村社 荒御霊神社(小代区実山)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 荒御霊神社
読み あらみたまじんじゃ

所在地 兵庫県美方郡香美町小代区サネ山544

旧地名 但馬国七美郡小代郷
御祭神 
主祭神 素盞鳴尊スサノオノミコト
配祀神 白峯姫命シラミネヒメノミコト

八千矛神 『国司文書・但馬故事記』
御神紋
例祭日 10月13日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

国道482号線忠宮から橋を渡り、坂を登ると右へ行くと実山。

歴史・由緒等

創立年月不詳
往古出雲国より勧請すと伝え三宝荒神と仰げり。貞享4年(1687)本殿を建立し享保10年(1725)同殿を再建す。
寛政4年(1792)本殿を再建し、明治3年(1870)現社名に改称す。
明治6年(1873)10月村社に列し大正15年(1926)無格社(兵庫県神社誌)白髪神社を合祀せり

「兵庫県神社庁」

伊佐布魂神は倭文宮に坐し、牛知御魂神は牛知宮に坐すなり。
時に鳴尾魔志牢(真志良)ナルオノマシラ*1所々に出没し、蒼生を害す。伊佐布魂神・牛知御魂神は、これを出雲国大己貴命に奏す。
大己貴命は八千矛神と為り、比々良伎の御鉾を以てこれを平らげ給いき。
今その地を鳴尾の多波礼坂と云う。故にその地に八千矛神を祀る。いわゆる荒御魂神これなり。
また鳴尾魔志牢が駆け出でた地を称して、駆場という。いま駆原場というはこれなり。(今の養父市川原場)

『国司文書・但馬故事記』

『国司文書別記 但馬郷名記抄』によると、七美郡駅家郷鳴尾村
鳴尾真志良潜居の地なり。八千矛神はこれを駆り出し、真志良は草に隠ったので、その地を「隠原」という。この隠原に火を放ち、これを焼いた。その地を「火出野」という(いま外野あり)。真志良は火を恐れて、森林より出てきたので「草出」という。八千矛神は真志良を征伐した。その地を鳴尾の多波礼山という。
後世当地方で怪異あれば、すなわち荒御魂神を勧請するはこの因に依る。
とある。鉢伏山をはさんだ北にある。実山の当社も荒御魂神を勧請したものと思われる。

*1 魔志牢(真志良) 『国司文書別記 但馬郷名記抄』註釈に、真志良とは猿のことであろう。『世継記』では、久流比(いまの豊岡市来日)の土蜘蛛猿梟師ツチグモマシラウケルと記す。

『国司文書・但馬故事記』は、鳴尾の多波礼坂、『国司文書別記 但馬郷名記抄』では鳴尾の多波礼山となっている。鳴尾村は草出・外野をさすと思われる。いずれの村も鉢伏山への上り坂に連なるので、多波礼山は鉢伏山もしくはその一帯のことで、坂はその上り道のことであろう。
鳴尾の多波礼坂に八千矛神、いわゆる荒御魂神を祀ったという最初の荒御魂神社は、鉢伏地区であるが、村社はなくすべて無格社であり、鳴尾の多波礼坂の荒御魂神社はどこの神社かは不明である。八千矛神すなわち素盞鳴尊を祀る神社は以下のとおり。
「後世当地方で怪異あれば、すなわち荒御魂神を勧請するはこの因に依る。」鉢伏山一帯に野生ザルが生息して田畑の作物や民家に害を被っていただろうことは、但馬中の地域で現在でも同じである。

※かつてはすべて七美郡。祭神はすべて素盞鳴尊 江戸時代は三宝荒神と称していた神社が多い
荒魂神社 養父市外野334
〃    養父市川原場206
〃    養父市奈良尾38-1
〃    養父市葛畑979
草出神社 養父市草出96
八坂神社 養父市梨ケ原68

・香美町小代区

村社荒魂神社 美方郡香美町小代区茅野239
〃      美方郡香美町小代区佐坊155
〃      美方郡香美町小代区廣井31
〃      美方郡香美町小代区石寺79
村社 荒御霊神社 美方郡香美町小代区実山544
荒魂神社   美方郡香美町小代区東垣165
〃      美方郡香美町小代区水間256
村社野間谷神社 美方郡香美町小代区野間谷154

・香美町村岡区
荒魂神社   美方郡香美町村岡区村岡406
村社相田神社 美方郡香美町村岡区相田503

境内・社叢

  
鳥居                       拝殿

  
拝殿扁額                    本殿覆屋

  
本殿左手境内社                 本殿右手境内社

地名・地誌

地 図

兵庫県美方郡香美町小代区実山544

交通アクセス・周辺情報

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参 考

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