菅原天満宮
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概 要
社 号 菅原天満宮
読み:すがわらてんまんぐう
所在地 島根県松江市宍道町上来待1801
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神 菅原道真公
例祭日 3月25日「春の大祭」・8月 25日「夏の大祭」
11月25日 秋の大祭(新嘗祭)
社格等
近代社格制度
社格制度廃止後
『雲陽大数録』 出雲国内の名社15のうちの一つ
創建 天歴5年(951年)
本殿様式
境内摂末社(祭神)
清床神社・厳島神社 秋葉神社
一口メモ
松江市宍道町上来待の来待神社からさらに奥に約1km進むと菅原バス停前に大鳥居。
歴史・由緒等
菅原道真公の父君、菅原是善卿が出雲の国庁に御在任の時、菅原氏の祖先、野見宿禰(のみのすくね)のお墓をたずねて菅原の里(当時は山田村という)においでになりました。その時ご案内をした乙女が卿のお気に入り、国庁に召されてお仕えすることになりました。
是善卿は任期が終わり、京都にお帰りになることになりましたが、この女の方は懐妊しておられ、菅原の地に帰って玉の御子をお産みになりました。
この御子が道真公であります。御誕生は承和十二年(西紀八四五年)六月二十五日、御幼名を鹿児丸君と申し上げました。鹿児丸君は幼い頃から才智すぐれ、草をとって筆とされ、石の凹みを利用して硯とされ、筆硯に親しまれたと申します。
公の六歳の春、母君はこの草深き地におき奉るべきでないと意を決し、公を伴い都に上がり、是善卿の邸に入り、南向きのお庭の老梅のもとに公を立たせおき立ち去られました。やがて是善卿がこれを見いだされて、「そなたは誰か」とおたずねになると、母君に教えられた通り「私は父も母もありません。卿を父君と仰ぎとうございます。」と申され、奇しきご縁の御父子が御対面になったのであります。
天歴五年(西紀九五一年)四月、菅原の地に御宮を建てて〔菅原天満大自在天神〕と仰ぎまつり、その後七百余年を経て、松江・松平藩祖・直政公が御信仰篤く、寛文三年(西紀一、六六三年)六月二十三日、東北地方の羅漢松(くさまき)と称する名木を以って、新しく社殿を御造営になりました。(現在の本殿がその当時のものであります。)御扉には五彩の雲に金泥の双龍が描かれており、これは狩野永雲の筆によるものであります。
その後、松平家累代の藩主が御造営・御祭祀につとめられましたが、明治五年以後、この菅原地区の氏神様としてお祀りするようになり氏子の方々はもとより県内外の多くの崇敬者の尊崇を得て今日に至っています。
-『神社公式サイト』より-
境内・社叢
一の鳥居 手水舎
二の鳥居
来待石牛像
社頭掲示板
拝殿正面 本殿
御符井戸 絵馬掛
本殿右奥境内社
野見宿禰の墓
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