豊受大神宮(伊勢神宮外宮)別宮 月夜見宮
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概 要
社号 月夜見宮 通称:つきよみさん 式内社 伊勢国度会郡 月夜見宮 外宮摂社首位 読み:つきよみのみや
所在地 三重県伊勢市宮後1丁目
旧地名 伊勢国度會郡
御祭神 月夜見尊(つきよみのみこと) 月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
例祭日 皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、祈年、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)がある。
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
東海道 式内社731座 大52(うち預月次新嘗19)・小679
伊勢国 式内社253座 大18座・小235座
度會郡(ワタラヒ) 58座 大14座 小44座
承元4年〈1210〉に、豊受大神宮(外宮)別宮に昇格
創建 927年以前
本殿様式 神明造
境内摂末社(祭神)
高河原神社(たかがわらじんじゃ) 高河原神社は外宮に準じ、外削ぎの千木、奇数で3本の鰹木、板葺の神明造で、南面している。 式内社 伊勢国度會郡 川原坐国生神社
一口メモ
7時からの外宮参拝前に、夜明け間もない小雨の中を伊勢市吹上の宿泊先から徒歩で。本来は全国から徒歩でお伊勢参りしていたのであるから、遠いなんて言えない。
歴史・由緒等
同じく「つきよみさん」と呼ばれる内宮(皇大神宮)別宮の月讀宮は、祭神は同じであるが、当宮では月夜見尊の文字が用いられて、別の神社である。
月夜見尊の御事については、『日本書紀』(元正天皇養老4年〈720〉奏進)の上巻に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)2柱の御親神が、天照大御神をお生みになり、次に月讀尊をお生みになられ、月讀尊は夜之食国(よるのおすくに)を治めるようにとご委任されたと記されております。 『日本書紀』には、月夜見尊(月讀尊の文字も用いられております)は、その光彩(ひかりうるわしいこと)が、天照大御神に亜(つ)ぐものであると、たたえられております。天照大御神のご神徳は、「その光華明彩(ひかりうるわしいこと)、六合(あめつち)の内に照り徹(とお)るほどでございます」と、太陽にたとえられていますが、月夜見尊のご威徳は、それにつぐものとして、月になぞらえて、たたえられたと考えられます。
皇大神宮別宮の月讀宮は月讀尊と月讀尊荒御魂がそれぞれご殿を分けておまつりされていますが、月夜見宮は、月夜見尊と月夜見尊荒御魂が一つのご殿に合わせておまつりされています。 外宮別宮としては豊受大神の魂を祭神とする多賀宮(たかのみや)、外宮の地主の神である大土御祖神(おおつちみおやのかみ)を祭神とする土宮(つちのみや)に次ぐ3位で、風宮(かぜのみや)より上位である。 神宮の別宮は基本的に1の社殿につき祭神は1神であるが、月夜見宮は月夜見尊(つきよみのみこと)と、その魂の月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)の2神を祀る。1の社殿に2神を祀る別宮は他に外宮別宮の風宮(かぜのみや)と内宮別宮の風日祈宮(かぜひのみのみや)がある。
由緒は定かではないが、古くは高河原(たかがわら)と呼ばれ、農耕の神を祀る神社であったという。第60代醍醐天皇の927年(延長5年)の延喜式では外宮摂社の首位とされ、第83代土御門天皇の1210年(承元4年)に別宮に昇格した。 社殿は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地は東西に隣接している。 なお、外宮の北御門から真っすぐ月夜見宮に至る宮後町の道は、昔並木があり、その道の真中は歩かない、また穢れに触れてしまった者はその道を避けて通らなかったという習慣がありました。町の古老の伝える歌に 宮柱建て初めしより月讀の神の生きかふ中のふる道 月讀の宮仕へとて夙(つと)に起き通ふ神路を清めざらめや とあり、この道は神様の通う道であると信じられ大切にされていたようです。現在もこの道は地元の人々に「神路通り」と呼ばれ、親しまれています。 ー『神社公式サイト』、ウィキペディアー
境内・社叢
(夜明け直後で露出不足によりブレぎみ)
社頭 境内
手水舎 社殿
拝殿・本殿
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
鉄道:JR参宮線・近鉄伊勢市駅から徒歩約10分 最寄バス停:三重交通新道バス停下車徒歩約3分、伊勢市コミュニティバス「おかげバス」月夜見宮前バス停下車すぐ 自動車 最寄インターチェンジ:伊勢自動車道伊勢西I.C. 駐車場:鳥居前には2-4台しか駐車できないが、南面する道路にパーキングメーターがある。
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