賀茂御祖神社境内摂社 式内 出雲井於神社
Contents
概 要
社 号 出雲井於神社
式内社(論社) 山城国愛宕郡 出雲井於神社 通名 比良木社(ひらきしゃ)
読み: 古 イツモノヰノヘ、現 いずもいのへ
所在地 京都市左京区下鴨泉川町59
旧地名 山城国愛宕郡
御祭神 建速須佐乃男命
例祭日 10月14日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
愛宕郡(オタキ) 21座(大8座・小13座)
式内社
近代社格制度
創建 貞観元年(859)正月27日 従五位上
本殿様式 一間社流造桧皮葺
境内摂社(祭神)
文化財 本殿 重要文化財
一口メモ
歴史・由緒等
式内社 出雲井於神社論社
出雲井於神社 賀茂御祖神社境内摂社 京都府左京区下鴨泉川町59
井上社 賀茂御祖神社境内摂社 〃
御霊神社 京都市上京区上御霊竪町495
下御霊神社 京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町
「延喜式に」「出雲井於神社」とある神社で「日本書紀」神武天皇2年の条に葛野主殿県主部とある氏族が祖神として奉斎した社である。
この県主部は古代山城北部に蟠踞し、鴨氏と同じ祖先を持ち「神亀3年(726)山背国愛宕郡出雲郷雲上、雲下里計帳(正倉院文書)で知られる氏族である。
大宝令(700)以降、山代国葛野郡は四つに分割され、鴨川の西方より東山までの地域が愛宕郡となり鴨川の東岸が蓼倉郷、西岸が出雲郷となった。「井於」とは、川のほとりのことで、出雲郷の川のほとりに坐す社の意である。
承和二年(844)2月20日、太政官符によって制定された鴨社領出雲郷の総社であったところから、氏神社、地主社としての信仰が厚く、元永2年(1119)2月1日、当神社大火の記録(長秋記、中右記、百練抄等々)に収載の社でもある。
通称を比良木(ひらき)神社と呼ばれているのは、本宮の御陰祭(御生(みあれ)神事)が行われていた犬柴社と愛宕郡栗田郷藪里総社柊社がいずれも同神であったところからこの社に合祀されたので、その名がある。
また、社の周辺に植える木はことごとく柊になるとの伝承があり「何でも柊」と呼ばれ、京の七不思議に数えられている。
現在の社殿は寛永6年度(1629)式年遷宮の時、先の式年遷宮(天正9年 1561)に造営された本宮本殿が移築されたもので中世の鴨社社殿として貴重である。
「神社掲示板」
現在式内の出雲井於神社に比定されその社名を称している比良木社は、賀茂御祖神社(下鴨神社)楼門内西傍にある。
下鴨神社の境内摂社。式内社。建速須佐乃男命を祀る。社名は、旧山城国愛宕郡「出雲」郷の総社であること、「井於」(川=鴨川の辺)に社が鎮座することに由来する。この神社の周囲には植えられた木はどのような葉も、柊のようにギザギザになることから、比良木社(柊社)とも呼ばれる。運開き、厄除け、茶道上達の信仰がある。江戸時代は「比良木社」と称した。
出雲氏の衰微によって、いつ頃にか現在の地に移ったとつたえる。
古くは一乗寺村の西、比良木ノ森(柊森)にあつたという。
当社の周囲にいかなる常緑樹を植えても、すべて柊の如く、葉にのこぎりの歯を生じるので、不思議とされている。
志賀剛著『式内社の研究』第三巻によれば、相国寺東門の東、毘沙門町・毘沙門横町付近を当社の旧鎮座地と推定している。
また、本社である御祖神社が摂社たる比良木神の次位(式の順)に記載されているのは不思議である。摂社が本社よりも先に掲げられて式社となつている例はほとんどない。
-「延喜式内神社」さんより-
境内・社叢
境内由緒板
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