郷社 惣社神社(式内 意布伎神社)
Contents
概 要
社 号 神社
読 み じんじゃ
式内社 近江国栗太郡 意布伎神社
別 名 江戸時代は「伊富岐社」
所在地 滋賀県草津市志那中町240
御祭神
御神紋 五枚笹 鳥居(島木造)
例祭日 4月 24日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
栗太郡 8座 大2座 小6座
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
猿田彦社 愛宕社
一口メモ
草津市の北部 琵琶湖東岸の開けた田園地帯が志那町。惣社神社、三大神社、志那神社が正三角形に鎮座している。それぞれ式内意布伎神社の論社となっている。郷社惣社神社は志那中町の常磐小学校前にあり志那町中心部のようだ。
大宝神社境内社 追来神社 素盞嗚尊 栗東市綣7丁目5-5
三大神社(意布伎神社) 志那津彦命 志那津姫命 草津市志那町309
志那神社(意布伎神社) 志那津彦命 志那津姫命 草津市志那町727
郷社惣社神社(意布伎) 草津市志那中町238(当社)
歴史・由緒等
創祀年代不詳であるが、社記に天智天皇四年右大臣中臣金連勅を奉じて風神を鎮祭し意布伎神と尊崇したに創まるという。古来意布岐総社、総社大明神惣社神社等と称号し、志那三郷の惣氏神である。また北志那大般若寺の鎮守の神として崇められ、同寺の文書等にも当社が延喜式内栗太郡八座の一意布岐神社たるの所伝少くない。
尚式内社意布伎神社については確証がなく所在不詳とされている。
古来志那浜は湖西湖東地方との交通の要港で、この為湖上の往復頻数は風神の崇敬を益々盛んとした。今に斎行の風神踊は風招と呼ぶ大団扇を持って三奏の神歌とともに天を仰いで行う神事で、その三日前に斎行の「たんもり」(祭壇盛)も琵琶湖の八尋の沖より砂一艘取寄せて本社三盛、御旅所(神宮寺跡)一盛の造形を行う重儀で、その俤を残している。昭和十三年郷社に昇格。明治四十四年神饌幣帛料供進指定。
『滋賀県神社庁』
境内・社叢
鳥居 手水舎
由来案内石碑
拝殿
狛犬
本殿左手境内社 本殿右手境内社
どちらが猿田彦社、愛宕社なのかわからなかった
藤棚
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