阿羅波比神社・愛宕神社(式内 意多伎神社)
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概 要
社 号 阿羅波比神社
読み:古 アラワヒ 現在 あらわい
所在地 松江市外中原町54
旧地名 出雲国島根郡
御祭神 天照御神(あまてらすのみかみ) 高御産巣日命(たかみむすびのみこと) 素盞鳴命(すさのおのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 小彦名命(すくなひこなのみこと)
社格等
式外社
近代社格制度 旧県社
阿羅波比神社境外末社 愛宕神社
御祭神 加具土命(かぐつち のみこと) 配祀 大己貴命(おおなむち のみこと)
例祭日 7月22日 愛宕神社祭
延喜式神名帳 式内社 出雲国意宇郡 意多伎神社
読み:イタキ
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
意宇郡(オウ):48座(大1・小47)
『出雲国風土記』 「意陀支社」
創建 天平5年(733)『出雲国風土記』に「意陀支社」と記載があるのでそれ以前
本殿様式 大社造変態
境内摂末社(祭神)
一口メモ
阿羅波比神社境外末社 愛宕神社を意多伎神社に比定する説あるが不詳らしい。愛宕神社は阿羅波比神社の西の洗合山山腹にある。意多伎神社は意宇郡なので松江市江北の当地は島根郡であり、意宇郡の江南になければおかしい。それはそれとして、阿羅波比神社自体は旧県社であり立派な神社です。
式内社 出雲国意宇郡 意多伎神社、『出雲国風土記』「意陀支社」は次の二つの説がある。
式内 意多伎神社 安来市飯生町679
阿羅波比神社境外末社 愛宕神社 松江市外中原町54
歴史・由緒等
阿羅波比神社略記
出雲国風土記・記載阿羅波比社にして、往古は国屋洗合山に鎮座ありしを永禄5年毛利元就、尼子氏を傾覆せんとして洗合山に本城を築く時現在の地に奉遷した。此の辺を荒隈と言うのは、大己貴命(大国主命)、少名彦命と力を合わせ心を一にして天下を経営(国造り)し、ついに出雲国に到り、興言して、天津葦原中津国は、もとより荒芒たりと宣り給える古事による。後に荒隈又は洗合と改めたもので、社を阿羅波比社と言う。中原というのも大神の宣り給える天津葦原と中津国の中と原の二字を反覆して中原という。又、少名彦命の神光海を照らして寄り来たり給えるにより、照牀社、照牀明神又中原明神と称い、後世天神三座を合わせ祀り五社明神とも称した。毛利元就は奉遷後も社領の寄進、安堵ありて堀尾氏、京極氏、松平氏、歴代藩主祈祷所として頻繁に参詣、代参があり、八幡宮とあわせ殊に崇敬篤く信仰せられた。其後明治、大正、昭和と修復を重ねて来たが前本殿の造営は文化11年(1814)で170年前の造営であった。大正15年県社に列した。
「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年
境内・社叢
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鳥居・随神門 手水舎
狛犬
拝殿 拝殿扁額
本殿
左境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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