黄泉比良坂

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

現社 号 黄泉比良坂
読み:よもつひらさか
所在地 松江市東出雲町揖屋2376−3
旧地名
御祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)
例祭日

社格等

『古事記』
創建
本殿様式

一口メモ

神社めぐりを趣味とする拙者にとって、出雲国式内社めぐりは、大和国同様にまさに神話や神社の宝庫でわくわくする。神話の国出雲は人を惹きつける要素があるのは誰でも同じだろう。出雲とは出雲市のみをさすのではなく、この場合は旧国名の出雲で島根県東部をさす。日本最多の銅鐸が発見された加茂岩倉(雲南市)や出雲市の西谷古墳、神社などでは今回で5度目の島根である。道すがら神社を訪ねても人柄の良い方々ばかりで親切で丁寧に接していただける。日本にもまだよき日本らしい場所が残っている気がしてほっとするのである。すっかり島根が大好きになった。まずスタートはいつも式内社優先で通過していたここ黄泉比良坂からだ(正確にいうとその前に安来市の荒島八幡宮と同じ揖屋の須多神社によってから)。日本人の八百神への信仰=神社が日本神話から成り立っていることからみると、黄泉比良坂は外せない場所だ。

国道9号線を松江方面へ進むと、平賀交差点沿いに「黄泉比良坂左折」と書かれた大きな案内看板が立っている。やや左折してまっすぐ言って左折しなければならないが、そのままバイパスをくぐり揖屋神社のある市街地の旧道へ進んでしまった。松江側からも同じように大きな案内看板があるので右折して少し進むと右手にまっすぐなゆるい坂道の行き止まりにある。すぐ手前は数台おける駐車場になっている。揖屋神社は一昨年に訪れたことがあるが、その際は黄泉比良坂が数近くにあることまで知らなかったのである。「よみ」ではなく、「よもつひらさか」と読むらしい。黄泉の国はあの世と現世を繋ぐ境目の場所なのだが、人里離れた奥深くにその地があるようなイメージだが意外にも市街地に近いが、細いまっすぐなゆるい坂道を進み、人気の少ない薄暗い山道が雰囲気を醸し出すその先に、生と死の境の地、黄泉比良坂がある。

注連柱が張られた石柱をくぐると、大きな磐座がある。社はない。かえって神道の神籬・磐座の原点を感じられるような場所だ。

歴史・由緒等

黄泉とはむろん死者の世界のこと。今風に言えばあの世である。古事記では黄泉国(よみのくに)と表記される。

古事記において、妻であるイザナミと死に別れてしまったイザナギがイザナミを取り返すために黄泉の世界に行く際に通った坂のこと。

イザナギは決して振り返ってはならぬといわれたイザナミのことを振り返ってしまったため、死後の醜い姿を見られたイザナミが激怒し、イザナギはこの坂をイザナミに追われながら駆け抜けることになった。そして、イザナギにより黄泉の道への通路である黄泉比良坂は閉じられてしまうのである。

この黄泉の国訪問神話には続きがあり、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐命は、汚れを落とすためにある泉で禊ぎをする。その時、左目から生まれた神が天照大御神、右目から生まれた神が月読命、鼻から生まれた神が須佐之男命と言われています。(三貴神という)
神話の原点とも言える黄泉の国訪問神話。
黄泉の国を「根の国」とする説もあり、そこから現在の「島根」の地名となったとも言われている。

黄泉とは、大和言葉の「ヨミ」に、漢語の「黄泉」の字を充てたものである。漢語で「黄泉」は「地下の泉」を意味し、それが転じて地下の死者の世界の意味となった。しかし、漢語の黄泉の字を充てたが、地下が黄泉にあるという本来の日本の考えに即さない。夜見や月読命の漢字の方が日本神話に合っている。黄泉とは単純に根の国の地名を指し、現在の島根県安来市を中心とした地域で、鳥取県米子市夜見町から黄泉比良坂(伊賦夜坂)のある島根県松江市東出雲町の間にあった土地と言う説[誰?]が有力である。それを裏付けるような早期ながら規模の大きな方形の古墳群が近隣に存在し(安来市造山古墳)、素環頭大刀などのような天叢雲剣を髣髴させる鉄刀なども出土している。「ヨミ」は、もともと日本神話の「よみの国」があったところの地名夜見から考えると、もともと夢(ユメ)のことをさしていたとの説、四方(ヨモ)から単に生活圏外を表すとの説、闇(ヤミ)から黄泉が派生したとの説などがある。また、元来月齢算出をあらわす月読(ツクヨミ)から派生した暦(こよみ:黄詠み)は、祖霊(おやがみ)が常世(黄泉)から歳神(としがみ)として還ってくる正月を算出するための日数演算法という説もある。

『出雲国風土記』では、出雲郡条の宇賀郷の項には黄泉の坂・黄泉の穴と呼ばれる洞窟の記載があり、「人不得 不知深浅也 夢至此磯窟之辺者必死」と記載されている。この洞窟は出雲市猪目町にある「猪目洞窟」に比定されるのが通説である。猪目洞窟は昭和23年(1948年)に発掘され、弥生時代から古墳時代にかけての人骨や副葬品が発見された。(引用:ウィキペディア)

境内・社叢


社頭掲示板


社叢

  
駐車場のすぐ前。右手に小さな池の脇から境内へ 注連柱


岩座 道反の大神(千引石) 日本最初の墓石といわれる

  
石碑 「史蹟 黄泉比良坂 伝説地」(昭和15年建立)

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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