式内 比遅神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 式内社  但馬国出石郡 比遲神社
読み:古 ヒチ、現 ひじ
所在地 兵庫県豊岡市但東町口藤字山姥547
旧地名 但馬国出石郡資母郷
御祭神 多遲摩比泥神(たぢまひちのかみ)
『国司文書 但馬神社系譜伝』味散君(みさのきみ)
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
出石郡(イツシ・いずし):23座(大9座・小14座)
式内社

近代社格制度 旧村社
創建     延喜3年(784)
本殿様式   流造銅板葺

境内摂社(祭神) 稲荷神社

一口メモ

国道482号線を太田川に沿って進み、宮津に抜ける県道2号線(宮津養父線)を東へ進むと口藤集落。すぐに「比遅神社」と刻まれた社号標が見える。さらに奥の山道を行くが、あいにく残雪があって先へ進めなかった。(2009.3.22)、2012.4.29、3度目のチャレンジでようやく参拝できた。

歴史・由緒等

『国司文書 但馬神社系譜伝』に、
人皇50代柏原天皇の延暦3年夏6月、葛井(ふじい)宿祢比遅は出石主帳となり、これを祀る。
味散君は、百済国都慕王十世孫 塩君の子なり。葛井宿祢の祖。

『国司文書 但馬故事記』(第五巻 出石郡故事記)に、
人皇50代柏原天皇の延暦3年夏6月、佐々貴山君波佐麻をもって、出石郡司となし、
伊福部宿祢弘をもって出石主政となし、
葛井(ふじい)宿祢比遅をもって出石主帳となす。
佐々貴山君波佐麻はその祖 佐々貴山君を射阪丘に祀り、(式内 佐々伎神社 兵庫県豊岡市但東町佐々木)
伊福部宿祢弘はその祖 天香久山命を出石丘に祀り、(伊福部神社 兵庫県豊岡市出石町中村)
葛井宿祢比遅はその祖 味散君を藤ガ森に祀る。

境内・社叢

  
常夜灯・社号標                  鳥居

  
小川のかかる橋を渡ると参道石段          境内

  
拝殿                       拝殿彫刻

  
本殿                       境内社

地名・地誌

地 図

兵庫県豊岡市但東町口藤字山姥547

交通アクセス・周辺情報

参 考

但馬の神社と歴史三部作

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