式内 多加牟久神社
Contents
概 要
社 号 式内 多加牟久神社
式内社 因幡国八上郡 多加牟久神社二座
読み:古 タカムク 現 たかむく
江戸時代は「岡大明神」と称していた
所在地 鳥取県鳥取市河原町本鹿字上ノ山387
旧地名 因幡国八上郡
御祭神
大己貴神(オオマムチ) 事代主神(コトシロ)
合祀 保食神
武牟口命(伊福部系図:大己貴命十四世孫)が本来の祭神とする説がある。(多加牟久命と同じ)
例祭日 9月下旬日曜日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
八上郡(ヤカミ):19座(並小)
近代社格制度 旧郷社
創建
本殿様式 神明造
境内摂社(祭神)
一口メモ
西側に車道があるが、当日は台風の影響で通行止めになっていたので、本来の集落内の参道を歩いて登った。
歴史・由緒等
創建は不明。延喜式神名帳(えんぎしきしんみょうちょう:927年)記載の式内社。
景行天皇の御世に武内宿禰(たけのうちのすくね)が熊襲征伐の途中、播州まで来た時、「因幡の金屋の洗足山に山賊(鬼)がでて近郷の住民を苦しめるので退治してほしい」との訴えを聞き入れ部下の多加牟久命(たかむくのみこと)を差し向けた。
洗足山に対峙する高尾山に仮陣屋を置き、みごと鬼退治した。住民は大変喜び、仮陣屋の場所のいわれを教えた。その昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上姫(やかみひめ)が八十神(やそがみ)達に追われて逃げ込んだ場所であること。さらには大国主命が自分から16世前の先祖にあたることなどから深い縁(えにし)を思い、九州には下らず神官としてこの地にとどまり大国主命を祀った。その子孫もこの社に多加牟久命も合わせて祀り、代々神主として奉仕した。これが神社の名の謂れです。「社頭掲示板」
境内・社叢
参道 手水舎
神輿と幕が張られ、秋祭りの準備がしてある。 拝殿
本殿 反対側に鳥居と車道があった
0件のコメント