式内 幡井神社
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概 要
社号 式内社 因幡国気多郡 幡井神社
読み:古 ハタヰ 現 はたい
江戸時代は「幡井大明神」「幡屋大明神」と称していた
所在地 鳥取県鳥取市青谷町絹見802
旧地名 因幡国気多郡
御祭神 天照大御神 栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ) 須佐男命 保食神(ウケモチノカミ) 事代主命(コトシロヌシ) 天熊人命(アメノクマヒト)
例祭日 10月第4日曜日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
気多郡(ケタ):5座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 宝亀三年(772)
本殿様式 流造
境内摂社(祭神)
一口メモ
因幡国最西端に鎮座する式内神社。青谷羽合道路もしくは国道9号線から県道51号線を南下すると吉川で、西方の山伝いに走る県道259号線が見える。前をヤマト宅急便が走るのでこの先に集落があると安心しながら、すぐ後ろをひっついて登る。他に道がないかと思うほど進むと峠を超えた辺りに絹見がある。因幡国青谷村と伯耆国旧泊村の国境で地図を見ると現在の国道9号やJR山陰線は、海岸沿いを通っているが、山里に集落があり、ここに式内社があるということは、旧山陰道かその支道であったのだろう。
田んぼの中の小さな丘が見える場所にある。帰り道は他にないのかと思ったが、ちょうどまたさっきの宅急便が来たのでうしろを引っ付いて県道まで帰ることができた。
因幡国の最西端にあるこの神社で、延喜式神名帳にある因幡国50座(大1、小49)の最後を回ることが出来た。伯耆国は6座(並小)と少なく、当社から最も近い伯耆一ノ宮 倭文神社(湯梨浜町宮内)と大神山神社奥宮は、すでに参拝しているので残るは3社である。
歴史・由緒等
社伝によれば、宝亀三年(772)の勧請。
江戸初期には、幡屋大明神と呼ばれていた。古くは西に接する笏賀(くつが)庄(現泊村筒地・園・泊・石脇・宇谷)と当町長和(なごう)瀬・絹見(きぬみ)の因伯にまたがる産土神であった。
鎮座地は、三度変遷し、寛政九年(1797)に現在地へ。
前社地は、近くの小池山の麓にあったという。
境内・社叢
鳥居 神門
拝殿 本殿
境内社
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