式内 弥加宜神社(大森神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内 弥加宜神社(大森神社)

式内社 丹後国加佐郡 彌伽宜神社
読み:古 イヤカキ、現 みかげ

通称:大森神社

江戸時代は「大森大明神」
所在地 京都府舞鶴市森字井根口871-7
旧地名 丹後国加佐郡倉梯郷森村
御祭神 天御影大神(あめみかげのおおかみ)、誉田別大神(ふむだわけのみこと=応神天皇)
例祭日 7月14日 例祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
加佐郡(カサ):11座(大1座・小10座)
式内社

近代社格制度 旧府社

創建     崇神天皇の御宇11年
本殿様式   流造

境内摂社(祭神)

須佐見神社…素戔嗚命 大己貴命
水神社…美津波能賣命
若宮稲荷神社…保食命
森光稲荷神社…大宮網賣命
縁結神社…大国主命
三安神社…天照大神
鹿島神社…武甕槌命
八代神社…天照大神之御子 五男三女神

一口メモ

府道28号大森神社前交差点西に大きな社叢が見え、車を止めた。長い参道が延びる。Googleマップによれば、交差点から北進して近い場所までいけるようだ。大森神社と呼ばれているようだが、大きな社号標には式内社弥加宜神社とある。

歴史・由緒等

創建 現社域南の旧行永村小字みかげ谷にあつたと伝えられるが、その旧社域や遷座の年代は不詳である。
邏座は8世紀以前と考えられる。

縁起

由緒

当社の御霊水は丹後風土記に「弥加宜社は往昔、丹波道主命の祭り給う所にして社中に霊水有り世に杜清水と号す」と記載されており一般に称せられております杜清水の中心であります。

往昔より延齢泉とも称し(延享4年本社再建記に記載)長命を授かる御霊水として尊ばれております。尚崇神天皇の御代(今から2000有余年前)に四道将軍の一将丹波道主命が当社御際神天御影大神をこの霊水の上に鎮座された当社由来について、木造建築である我が国神社建築様式としては水神以外には殆どその例無く神社としては異例中の異例であり格別の由来がある事と思いますが遺憾ながら詳細は不明であります。

「社頭掲示板」

舞鶴ではめずらしくも金属の神社と公認されている神社。神体山、近江富士・三上山麓の御上(みかみ)神社(野洲町三上・名神大社・近江三宮)さんの系統の神社である。
近江でもこの系統の神社はわずかに4社しかないそうであるが、丹後にはここにもあり、古代には丹後道主命とかかわり、案外と言うか、かなり活躍していたと思われるのである。

花崗岩からなる三上山であるが、その麓は大岩山銅鐸24口の出土地である。出雲から多量の銅鐸が出土するまではここが最も多かった。
祭神は天御影(あまのみかげ)神といい、天目一箇(あまのまひとつ)神と同体とされている。天目一箇神は鍜冶神である。新羅王子・天日槍の別名だという人もいる。

本日は、実は最初に道すがら、久々に写真を撮り直そうと、偶然にも地元の御祭神 天日槍命の但馬一宮出石神社からスタートしたのである。

境内・社叢

  
一の鳥居(両部鳥居)                社号標


手水舎

  
二の鳥居(明神鳥居)・拝殿             本殿

  
社頭右手境内社 八代荒神社(天照大神之御子 五男三女神)   鹿島・香取神社

  
三安神社鳥居                    三安神社

  
左手境内社 森光稲荷神社 若宮稲荷神社

  
本殿奥 古祭祀場?       水神社


須佐見神社


蛇紋岩伝説

地名・地誌

《加佐郡誌》
森は弥加宜神社の森近くの村であるからこれを名としたのである。昔から変りがない。正親町天皇の天正の頃に一色氏の臣高橋左京(因幡守に作れるもある)が此処に住んでいたやうであるが城址の所在が詳かでない。

白鳥街道が当村より堂奥村・小倉村を経て松尾寺へ至る西国巡礼街道が通った。東舞鶴市街地南部の平坦地で急速に人口がふえた。現在の森・森町・森本町・丸山町・丸山口町・丸山中町・丸山西町などになる。

地 図

交通アクセス・周辺情報

舞鶴市南東部。JR東舞鶴駅の南。

参 考

「神詣」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん、『延喜式の調査』さん

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