府社 由良神社
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概 要
社号 府社 由良神社
古くは熊野十二社大権現や熊野三所権現と称していた
所在地 京都府宮津市由良宮本2362
旧地名 丹後国加佐郡由良村
御祭神
伊弉諾命(いざなぎのみこと)、櫛御気命(くしごけのみこと)、誉田別命神(ほむだわけのかみ・応神天皇)
例祭日
社格等
式外社
近代社格制度 旧府社
創建
本殿様式 一間社流造
境内摂社(祭神)
一口メモ
178号線の旧道脇に「花御所八幡 由良神社」と書かれた社 号標が立ち、広くて清潔な境内が目に入る。
歴史・由緒等
鎮守は由良神社・奈具神社(式内社)。昭和50年調査によれば、由良地区には氏子を異にする由良の由良・奈具神社、石浦の住吉・中路(日吉)の4社がある。由良神社は浜野路・港・宮本の氏神で^10^月^10^日の祭礼には神楽踊が奉納される。神楽踊はこの地に伝えられた^15^曲に及ぶ風流小歌踊の一つで本来は「笹ばやし」といった。いつ頃から始められたかはわからないが、歌本に「寛政年中五ケ村立開ノ中本之写」とあり、同本の「大川村」の項によると、大川神社(現舞鶴市)に「祭礼」を入れてきたことが知られ、古い来歴をもつと考えられている。
奈具神社は脇の氏神で^10^月^10^日の祭礼には脇の人々によって太鼓踊が行われていた。この踊は当地で祀られる水無月さんの旧^6^月^30^日の夜祭にも行われた。水無月さんは旧語集にもみえ、夜祭には由良の全地区がいっしょに太鼓踊を奉納した。
-「丹後の地名地理・歴史資料集」さん-
田辺藩歴代藩主の崇敬が篤かった古社で、旧府社。明治になるまで熊野十二社大権現、あるいは、熊野三所権現と称していました。棟札を多数所蔵し、そのうち正徳元年(1711)、宝暦5年(1755)の棟札によると、かつては西御社と東御社が並立し、西を上社として熊野三所を、東を下社として九所を祀っていたそうです。明治20年に花御所八幡を勧請して合祀、由良神社と改称しました。
祭神の伊弉諾命(イザナギ)・櫛御気命(クシゴケ)は出雲の熊野神社から勧請したもので、古くは上の宮、中の宮、下の宮とあったものを正徳元年(1711)神殿再建の際、上下の両社を中の宮の境内へ合祀したとされます。現在は熊野三社の総玉社が残ります。
誉田別尊は、京都の上善寺門前町に鎮圧する花御所八幡宮の分霊を勧請したもので明治20年に熊野神社へ合祀し、由良神社と改称したとされています。
由緒
由良神社は明治になるまで熊野十二社大権現、あるいは、熊野三所権現と称していた。棟札を多数所蔵し、そのうち正徳元年(1711)、宝暦五年(1755)のものは同内容の棟札が2枚ある。これによると、かつては西御社と東御社が並立し、西を上社として熊野三所を、東を下社として九所をまつっていた。現在の熊野神社本殿が、上社か下社かは判然としない。
熊野神社本殿は装飾的要素の比較的少ない大型の一間社流造である。棟札から、正徳元年の造営とわかり、大工は田辺引土町の水嶋弥右衛門と同所新町の高橋重右衛門であった。年代の異なる細部が混在し、数回の修理を経ていることをうかがわせる。絵様は単純で、彫りが浅く、古式を思わせるが、若葉の幅は極端に広い。身舎の蟇股も脚元が二つに割れた珍しい形である。外陣正面の引戸は、菊花と若葉の透かし彫りの優品である。
境内・社叢
社頭 鳥居
二の鳥居・拝殿 拝殿内
本殿
摂社
地名・地誌
由良(ゆら)
由良川河口の西側、宮津市の東南部。若狭湾に面した海岸平地の集落。西部海岸沿いを国道178号とKTR宮津線がほぼ並行して走る。丹後由良駅がある。前に白砂の海岸をひかえる景勝の地で夏季は海水浴場として知られる。旅館・民宿を経営するものも多く、駅の西方山麓に国民宿舎もある。南の山は由良ヶ嶽(583mいろいろデーターがあってどれが本当かわからないが、たぶんこれくらいか)栗田と由良の間の海岸を奈具海岸と称し風光明媚な海岸。
近世の由良村は、江戸期~明治22年の村で、加佐郡のうち。田辺藩領。慶長検地郷村帳に高656.96石「由良村」とみえる。また「由良村之内石浦村」とあり南隣の石浦村をも含んでいたが、元和10年分離したといわれる。
塩浜や廻船などに従事する者が多かった。製塩は河口を離れた西部で揚浜製塩が行われたが、質の良好を誇って明治まで続いたという。由良の湊千軒長者の言葉もあり廻船業が盛んで、当村の船主ばかりでなく宮津港や岩滝港の船主の船頭・水主もいた。由良川河口付近は船溜りに用いられたが、あまり好適地ではなかったという。
近代の由良村は、明治22年~昭和31年の加佐郡の自治体名。由良村・石浦村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。31年宮津市の一部となり、村名解消。村制時の2大字は宮津市の大字に継承。
地 図
交通アクセス・周辺情報
ハクレイ酒造 天の蔵
江戸後期、天保3年(1832)の創業。 試飲ができて築170年の酒蔵へ入って日本酒の造り方の説明を受ける事ができ、きき酒したお酒がその場で買うことができます。
釜場や仕込み蔵など古い蔵の様子をそのまま残した空間に当時の酒蔵の日常がよみがえります。水は由良が浜中腹のものを使用。(不動山水)
蔵元にある杉玉は、毎年一回秋の新米が採れる頃、取り替えられ、秋、杉の葉が緑の頃には、新酒ができたしるし、葉が茶色になると、熟成している
(おいしくなっている)しるしです。 天の蔵では、酒談義ができ(1人300円)冬場は但馬杜氏から話が聞けます。ハクレイ酒造は、宮津で唯一の地酒蔵で、地酒の試飲と酒談義ができるのもここだけ。
当店で販売中
(「宮津市の文化財」「天橋立観光協会」参照)
参 考
「神詣」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん、「神社探訪」さん
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