篠田神社(式内 阿須々岐神社論社)
Contents
概 要
社 号 篠田神社
式内社 丹波国何鹿郡 阿須々岐神社論社
読み: しのだ
江戸時代は「白田大明神」
所在地 京都府綾部市篠田町宮ノ下6-1
旧地名 丹波国何鹿郡
御祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
例祭日 10月第4日曜日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
何鹿郡(イカルカ):12座 並小
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳 延暦15年(796)再建
本殿様式 流造
境内摂社(祭神)
春日明神・天照皇大神宮・愛宕護神社・廣嶺神社・八幡宮
文化財
本殿(京都府指定文化財)
一口メモ
上八田町の福太神社から、府道485号線を、舞鶴若狭自動車道・綾部宮津道路ジャンクションをくぐり、左折して府道486号線に入る。左に大きくカーブしながら、同じ道路が、府道486号線から494号線にかわるなか、4.4 km進み北側。神社さがしで初めて訪れたが、綾部は由良川の市街地に比べて、北部は何層にも低い山の谷あいに集落と田んぼが広がっているのにおどろく。美しい風景だが、ナビがなければ方角が分からなくなりそう。上八田町から物部町に東西につながる谷あいの北にさらに物部町につながる谷あいがある。
今回は行けなかったが、さらに北東部は、舞鶴市や福井県高浜町に隣接し、上杉氏発祥の地、上杉集落があるので以前から行ってみたかったが、式内社がないので次回にする。室町時代は鎌倉府にあって鎌倉公方の執事、次いで関東管領の職を世襲し、相模、武蔵、上野、越後など一門で4か国の守護職を占める有力守護大名としても栄えた。越後の長尾景虎が上杉家から姓を頂いて上杉謙信となった。
式内 阿須々岐神社 京都府綾部市金河内町東谷1
明治二年に、式内社・阿湏々伎神社に比定されていたが、明治十二年、篠田神社と式内社争いが起こり、式内社指定を取り消されたらしい。
歴史・由緒等
創祀は不詳。
御祭神は大国主命。
崇峻天皇の御世(五八七~五九二)、丹波・丹後を平定するために朝廷から遣はされた金丸親王(麻呂子親王)が、篠田神社を含む志賀の里の五社を厚く信仰され、篠田神社には竹をお手植ゑされたと伝へる。かつては白田大明神と称した。
「丹波の神社」さん
境内・社叢
(日没近いのでシャッターがブレ気味)
鳥居 手水舎
境内 拝殿
本殿
本殿左境内社 八幡宮 本殿右境内社
本殿奥境内社 本殿奥に禁足地がある。古墳か?
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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