式内 伊射奈伎神社

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概 要
社号 式内社 若狭国大飯郡 伊射奈伎神社
読み:古 イサナキ、現 いざなぎ
江戸時代は「天神宮・天満宮」と称していた
所在地 福井県大飯郡おおい町福谷字宮前48-7
旧地名 若狭国大飯郡佐分利村
御祭神 伊射奈岐命(いざなぎのみこと)
配祀 菅原道眞 合祀 熊野大神 大山祇命
例祭日 3月15日 春季例祭 10月15日 例大祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
北陸道 式内社352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
若狭国(ワカサ) 式内社42座(大3座・小39座)
大飯郡(オホヒ・おおい) 7座(貞・並小)
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式 流造
境内摂末社(祭神)
『福井県神社誌』や『式内社調査報告』によれば、
境内社は、東側が稲成社と西側が八幡宮
山神社の3社。
『式内社調査報告』によると、
加斗(荒木)に、式内社・伊射奈伎神社の旧蹟とされる「伊射の森」があり、近世には、、山の神として祀られたとある。
文化財 県指定天然記念物の裏白樫(ウラジロガシ)の木。
町指定天然記念物の栂(トガ)の木。
境内神社
一口メモ
若狭本郷駅の南西10Kmほどの福谷に鎮座。
途中、山田に大飯神社、父子に静志神社がある。
佐分利川に沿って1号線を進み、舞鶴若狭道の大飯高浜I.C付近で北へ入り、川沿いの道を西へ進むと、集落の奥に境内がある。
歴史・由緒等
この伊射奈伎神社は、昔「福祥山隆興寺天満天神」と称して佐分郷十七カ村の大社であった。
この社前に「善楽寺」という真言宗の別当寺があって、ここに周文が三年ほど身を寄せていたと伝えられている。この善楽寺において大願を抱いて五部大乗経二〇〇巻を写経し、天満天神に奉納した。
その写経の末葉には、「時に応永13年丙戌5月22日若州大飯郡佐分郷善楽寺に於いて大願主周文謹んでこれを書す」と、奥付してある。
周文は、室町時代の十五世紀前半に活躍した画僧で、字は天章、号は越渓。彼独特の和風的な水墨画を大成して、後には足利幕府の御用絵師どなった名匠で、こうした画風を雪舟・宗湛・元信等多くの作家が継承した。
大飯町教育委員会
「社頭掲示板」
境内・社叢
社号標 県道沿い 鳥居
手水舎
本殿覆屋 本殿覆屋側面
境内社 稲荷神社
境内社
県指定天然記念物の裏白樫(ウラジロガシ)の木。
社殿の前には、こちらは町指定天然記念物の栂(トガ)の木。
地名・地誌
若狭国(嶺南)
地理的には若狭湾岸に位置しており、観光ガイドなどで北近畿に含まれることもある。また敦賀から舞鶴・米原・京都・金沢の各方面へ鉄道や道路が分岐しており、交通の要衝でもある。歴史的に、畿内から北陸道の入り口として機能したほか、若狭湾の港は古くから畿内の外港として機能し、京や近江、丹後との交流が盛んであった。
その影響もあって、嶺南地方で話されている方言は近畿方言である若狭弁で、舞鶴弁や江州弁の影響を受けている。
奈良時代、ヤマト王権の日本海側入口として、海産物を朝廷に多く献上した為に、「御食国 (みけつくに)」に該当すると推定されている。調・庸で塩を納めるよう定められ、8世紀には製塩が非常に盛んであった。塩を京に運んだことを示す木簡で1990年代までに見つかった129点のうち、若狭国は第1位で49点、38%を占める。
そのように古くから関西とのつながりが深く、ラジオ・テレビ放送も関西エリアが受信できる。
大飯郡
若狭国、福井県の西端の郡。天長2年(825年)7月10日 – 若狭国遠敷郡を割いて大飯郡を建てた。
1955年(昭和30年)1月15日 – 佐分利村・本郷村・大島村が合併し、大飯町が発足。
おおい町は、福井県南西部の町。2006年3月3日に遠敷(おにゅう)郡名田庄村と大飯郡大飯町(読み同じ)が合併して誕生した。東西は高浜町・小浜市の間、南は京都府綾部市・南丹市、滋賀県高島市に隣接する。
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