式内 伊達神社(亀岡市宇津根)
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概 要
社号 式内社 伊達神社
読み: 古 イタテ、現 いだて
所在地 京都府亀岡市宇津根町東浦1-2
旧地名 丹波国桑田郡
御祭神 五十猛命(いそたけるのみこと)
例祭日 7月23日 例祭 10月25日 秋祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
桑田郡(クワタ):19座(大2座・小17座)
伊達神社論社
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂社(祭神)
一口メモ
国道9号線曽我谷橋(交差点)を右折して、府道402号線 に向かう。
87 mで斜め左に折れて 府道402号線 に向かう。
500 mで府道402号線 を直進する。
350 mで右折して府道405号線に入り130 m。
式内社 伊達神社の論社はもう一つ
京都府亀岡市余部町加塚16
歴史・由緒等
由緒
式内社の論社。社頭説明板によると、延享四年(1747年)の大堰川の氾濫により、隣接の宝蔵寺とともに流失し、記録類も失われている。
現在、隣に宝蔵寺があり、江戸時代には宝蔵寺の境内社(鎮守)となっていたようであり、 明治初頭の神仏分離に際し、現在地に遷座した。とのこと。鎮座地は宝蔵寺の私有地と言う。
藤原秀衡の三男忠衡の娘が、平泉で義経と共に倒れた父を当社に合祀したと言う。
神奈備は牛松山で、丁度愛宕山が隠れる位置に鎮座している。
亀岡では、余部町の伊達神社の方が古いとされている。
境内・社叢
社叢 鳥居
手水舎 本殿
境内社 稲荷神社
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