式内 薭田野神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 式内社 丹波国桑田郡 薭田野神社
読み: 古 ヒエタノ、現 ひえだの
所在地 京都府亀岡市薭田野町佐伯垣内亦1
旧地名 丹波国桑田郡
御祭神 保食命(うけもちのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと) 野椎命(のづちのみこと)
例祭日 8月14日 特殊神事 10月23日 例祭

特殊神事 佐伯郷燈籠祭(さえきとうろうまつり)

かつて「宇治の県(あがた)は男が通う 男寝て待て女が通う 丹波佐伯郷(たんばさえき)の燈籠まつり」と呼ばれた女の夜這いの祭りであった。

寛喜元年(1229)朝廷より賜った五基の神燈籠と台燈籠を中心に五穀豊穣祈願の祭りを斎行する。盆行事と豊作の祈願が合わさった特殊な神事として名高い。7月のはじめから準備がはじまり8月7日は「7日盆」と呼びこの祭りの準備の追い込みに入る重要な日。宮司は準備した五穀の種子を苗代に播き五穀の苗を発芽させる。当日この実生の苗は当社の御祭神「保食命」の分け御霊(わけみたま)として当日の祭礼の中心となります。

朝廷から奉納された五基の神燈籠と神輿の追いかけっこ(燈籠追い)、神輿と大太鼓の掛け合い(太鼓掛け)など勇壮な神事とともに台燈籠で演じる人形浄瑠璃は阿波の人形浄瑠璃よりもはるかに古い様式を持っています。
徳川中期以降、丹波の大祭として全国に知られ、現在京都府の無形民俗文化財の指定、また国の無形民俗文化財に値する祭礼として記録保存に採択されている。 「京都府神社庁」

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
桑田郡(クワタ):19座(大2座・小17座)

近代社格制度  旧郷社

創建      和銅二年(709)
本殿様式    流造

境内摂社(祭神)

稲荷神社

文化財

稗田野神社文化財環境保全地区 (府文化財環境保全地区)

一口メモ

当日は好天だったが、夕方になり激しい雷を伴う雨が降り出し、まだ6時なのに暗くなった。よって写真はとりあえず。

歴史・由緒等

社伝によると、
和銅元年(708)大神朝臣狛麻呂が丹波国守として派遣され
和銅二年(709)五穀の守護神として創祀したという。

式内社・薭田野神社の比定される古社。

「薭田野」の社号については
稗は、五穀の首位であり、五穀の神である保食神に因んだとするが
薭田氏(薭田野阿禮)を祀るとする説もあるらしい。

鎌倉時代の正元二年(1260)、神宮寺が建てられたが
この寺は八幡の橋本坊の末寺であったことから
八幡の別宮と考えられ、当社は稗田野八幡宮とも称されていた。

なお神宮寺は、明治の廃仏毀釈によって廃止された。

当社は女性の守護神としても崇敬され
「お百度すれば婦人病にかからない」とか
「当社に詣でた婦人を娶ると男は一生幸せである」などというらしい。

当社の特殊神事に丹波の三大祭・丹波の奇祭とされる
「佐伯燈籠祭」がある。
貞観元年(859)五月二十日、勅使による稲の成育祈願が行われ
堀川天皇の寛喜元年(1229)稲の豊作を祈る
五基の御所燈籠が下賜されたのが燈籠祭の起源。
燈籠祭では、高さ30cmほどの串人形による浄瑠璃が奉納される。

平成二年に江戸時代中期の社殿(京都府登録文化財)を全焼、平成四年室町時代の簡素な様式に平成の趣を加えた様式の社殿に設計して再建しました。

境内・社叢


鳥居

  
旧道側鳥居                鳥居扁額
(日没近く雨天のため、ピントずれ 2012.7.22)


社叢


境内案内板

   
狛犬

  
境内社稲荷神社と癌封じの木 (神社入り口)  石の環くぐり

樫の木には悪病を吸い取る霊木だという言い伝えがある。また、悪しき物を吸い取るという事から、不幸や災いを吸い取るとも伝えられ、樫の木のコブを一心になでることにより人の悪病・癌病を封じてくれると伝わる。癌封治。

  
拝殿                   拝殿・本殿

  
五基ある御所燈籠 京式八角石灯籠(鎌倉時代)   本殿右手境内社 春日神社

  
本殿礎石

  
境内社                  和銅禊の池

創設当時の里人がこの池に禊ぎして豊作と無病息災を祈ったと伝わる禊ぎ池。今では手を漬けて禊ぎにかえる人が多い。

  
境内社えびす神社

現地情報

地名・地誌

地 図

周辺情報

参 考

「京都府神社庁」、『延喜式の調査』さん、他

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