知井八幡宮

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 知井八幡宮
読み:ともいはちまんぐう
所在地 京都府南丹市美山町北
旧地名 丹波国桑田郡
御祭神 応神天皇・諏訪明神・知井一ノ宮明神
例祭日

社格等

近代社格制度  旧村社

創建       延久三年(一〇七一)
本殿様式    三間社流造 銅板葺、軒唐破風、千鳥破風

境内摂社(祭神)

文化財

社殿 京都府指定登録文化財
境内 京都府文化財環境保全地区

一口メモ

国道162号線を北に進む。

美山町安掛(交差点) を右折して、府道38号線 に入る。
6.3 kmで、かやぶきの里、北集落へ左折する。

目的地は前方右側300 m。

この神社が美山かやぶきの里にあることを知らずに、機会が持てたことに感謝したい。道相神社や八幡宮を訪れて良かった。盛夏22日、バイクツアー客や家族連れの観光客が多く、売店で「きびアイス」を食べた。

歴史・由緒等

創祀は延久三年(一〇七一)。御祭神は応神天皇・諏訪明神・知井一ノ宮明神。
延久三年(1071)に南村の上宮山に祀られてゐた八幡太郎明神が、永禄十年(1567)に洪水で流され、元亀元年(1570)に北村の久保屋敷の一宮大明神境内に遷移し、諏訪明神と共に三社を合祀して、八幡宮として現在地に再建した。本殿の左に知井一ノ宮明神、中央に応神天皇、右に諏訪明神を祀る。合祀以前の八幡・一宮大明神に奉納された文明十年(1478)の鰐口が二つ残る。北八幡宮とも言ひ、知井十二ヶ村(北・南・中・下・河内谷・知見・江和・田歌・芦生・佐々里・白石)の総社です。現在の社殿は明和四年(1768)に改築されたもので、京都府指定登録文化財、境内も京都府文化財環境保全地区に指定されている。知井八幡宮には甲賀三郎の大鹿退治の伝承が残されています。
 本殿と拝殿(神楽殿)は明和4年(1767)播州三木の大工棟梁、彫刻は京都の匠によるもの。

知井八幡神社概要:

知井八幡神社の創建は和銅6年(713)、この地に頭が8つの大鹿が現れ村人に災いをもたらした際、朝廷は甲賀三郎兼家を派遣し見事大鹿を仕留める事が出来ました。兼家は祠を建立し神恩に感謝したと伝えられており、この祠こそが知井八幡神社の起こりとされています。延久3年(1071)に八幡神が勧請、当初は南村の上宮山に鎮座していましたが、永禄10年(1567)山津波により社殿が大破し、元亀元年(1570)に一宮大明神が祭られていた現在地に遷座再建しています。現在の本殿は明和4年(1767)に再建されたもので三間社、流造、銅板葺き、正面屋根に千鳥破風が設けられ、3間唐破風向拝が付き、向拝部の蟇股や象鼻、懸魚などに繊細で多様な彫刻が施されています。知井八幡神社本殿は江戸時代中期に建てられた大型神社本殿建築の遺構として貴重なことから京都府指定文化財に指定されています。又、境内全域が京都府文化財環境保全地区に、御神木(杉、樹高45m、幹周5.0m)が美山町指定天然記念物にそれぞれ指定されています。

「京都ナビ」

境内・社叢

  
北かやぶきの里 北山型入母屋造りの38軒が残る

  
社号標             鳥居

   
狛犬

  
境内             手水舎


社頭掲示板

  
御神門              舞殿(神楽殿)

  
向拝・本殿

  
向拝・本殿

  


本殿左右の境内社

地名・地誌

美山町

平成18年1月1日、船井郡園部町・八木町・日吉町と北桑田郡美山町が合併し、南丹市が誕生しました。
広大な面積を持つ南丹市は、市の中でも地域によって気候が全然違います。気候的に京都市とほとんど変わらない旧船井郡八木・園部町に対して、福井県や滋賀県北部に近い美山町は前は北桑田郡美山町で、町面積は、340.47平方キロメ-トルで、京都府内の町村で一番大きい町だった。雪が深く、北山型入母屋造りの茅葺き民家で知られる。三国岳、頭巾山、長老山など、8~900メ-トル級の連山に囲まれ、その山あいを縫うように、由良川の源流が町の中央部を流れている。

川に沿って建てられた民家のうちおよそ250棟は、昔ながらの茅葺き民家で、特に北集落は茅葺き民家が多く残っており、自然景観と、茅葺き民家が調和して、日本の農村の原風景とも言うべき風情を呈している。この集落は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

地 図

交通アクセス・周辺情報

かやぶきの里

参 考

「丹波の神社」さん、他

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