式内 須義神社
Contents
概 要
社 号 式内 須義神社
延喜式神名帳 式内社 但馬国出石郡 シ頁義神社
読み: 古 スキ、現 すぎ
江戸時代は「菅八幡宮」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市出石町荒木273
旧地名 但馬国出石郡埴野郷菅庄
御祭神 由良度美神(ユラトミ)
『神名帳考證』には、多遲摩母呂須玖神(タヂマモロスク)
配祀 誉田別神(応神天皇)
『国司文書 但馬神社系譜伝』須義芳男命(亦の名は荒木帯刀部(たきはきべ)命)
例祭日 10月10日 秋祭り
10月15日 例祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
出石郡(イツシ・いずし):23座(大9座・小14座)
近代社格制度 旧郷社
創建 応神天皇40年
本殿様式 流造 銅葺
境内摂社(祭神) 稲荷神社
文化財
須義神社本殿 江戸期 豊岡市指定文化財
一口メモ
出石城から浅間峠を越して山陰道へ通じる京街道沿いにあり、かつて秀長率いる豊臣軍が但馬征伐で浅間峠を越えて出石城攻めに行軍した道でもあります。峠のトンネルのすぐ手前脇には、生野義挙で戦った出石藩士多田弥太郎が出石藩に捕らえられ殺害した場所に記念碑が建っています。
歴史・由緒等
『国司文書 但馬故事記』(第五巻 出石郡故事記)に、
人皇十六代応神天皇四十年春正月、
須義芳男命の子・日足命をもって、出石県主となす。日足命は、須義芳男命を荒木山に祀る。須義神これなり。
『国司文書 但馬神社系譜伝』に、
人皇十四代仲哀天皇の二年、須義芳男命は神功皇后に従って、熊襲および新羅を討つ。命は、豪勇にして、腕力があり、射狭浅太刀(いざさのたち)を携えて随身す。これを荒木帯刀部命(たきはきべのみこと)と云う。
人皇十六代応神天皇四十年春正月、出石県主日足命これを祀る
和妙抄(和名類聚抄)
貞観十年紀、河内ノ弓削郷に菅ノ神作る、続日本紀作由義、和泉ノ近義郷の見解は、須義を菅と為す。
『神社明細帳』では、須義社 菅八幡宮と称えられる。謂われによれば天日槍の末裔 酢鹿ノ諸助有り。酢鹿 須義は同じ音訓で相通ずる。
境内・社叢
社号標・鳥居 参道
境内 拝殿
本殿 境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス
車:県道2号線
周辺情報
多田弥太郎顕彰碑
参 考
「兵庫県神社庁」、『延喜式の調査』さん、他
但馬の神社と歴史三部作