村社 志伎神社(豊岡市日高町殿)
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概 要
社 号 村社 志伎神社
読み:しきじんじゃ
江戸時代までは、志伎宮大明神
所在地 兵庫県豊岡市日高町殿410
旧地名 但馬国気多郡三方郷
御祭神 主祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)
配祀神 志伎山祇命(しきやまつみのみこと) 速素盞鳴命(はやすさのおのみこと)
例祭日 10月9日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
境内社が一社あるが祭神などは不明
一口メモ
国道482号線伊府交差点を左折し、阿瀬渓谷へ向かう県道259号線をしばらく進むと阿瀬川にかかる橋がある。そこを渡るとすぐ南の鶴ヶ峰の北側が殿区。
神社は集落の西南奥にある。殿は鶴ヶ峰城主垣屋光成の殿屋敷に由来すると思われ、祭神が武家が好んで祀った八幡神=誉田別命(応神天皇)であることも、であることも、その証しという印象を強めた。社号の志伎は何から由来するのであろうか?
歴史・由緒等
由 緒
創立年月不詳明和4年(1767)本殿を造立し、文化4年(1807)同殿を修繕せり。
明治3年(1870)遷宮を行い、同6年(1873)10月村社に列せらる。
大正2年(1913)大雪の為に本殿覆倒壊し、同6年(1917)又雪害の為に社殿倒壊せしかば次いで之を改築せり。「兵庫県神社庁」
志伎神社の「しき」とは何なのか。
国司文書別記・但馬郷名記抄 第一巻 『気多郡郷名記抄』の三方郷の村名に、広井・志貴・栗山・馬工村・守山・智々見・餐所と並んでいる。ここに志貴とある。志伎神社の志伎は、志貴であり、中世に垣屋氏が鶴ヶ峰城を築城するまでは、殿村ではなく志貴村と呼ばれていたことによるのであろう。
境内・社叢
社叢 鳥居
御神燈 境内
狛犬
本殿覆屋 拝殿扁額
本殿覆屋 右手境内社
地名・地誌
殿(との)
国司文書別記・但馬郷名記抄 第一巻 『気多郡郷名記抄』(平安後期975)
志貴
『但馬太田文』(1285年(弘安8年))
三方郷 村数十
三方庄殿村
楽々前城主垣屋播磨守続成が永正9年(1512)鶴ヶ峰城を築き本拠としたという。(因幡垣屋系図)。その北裾にある。しかし、それ以前の約250年前の『但馬太田文』(1285年(弘安8年))にすでに殿村と呼ばれていたことになる。
鶴ヶ峰の反対側南裾には観音寺があり、家臣の家のあとがあるといわれているから、地名はこの城主垣屋光成の殿屋敷に由来することは間違いないだろう。観音寺西側に殿屋敷という小字があるが、垣屋氏が治めた阿瀬金銀山と栗山の間の鉱山との運搬道は重要であり、そこに殿屋敷は置かれたと考えるのが自然である。観音寺字殿屋敷はおそらくその家臣を地元では殿の屋敷と呼んでいた野かも知れない。
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