三谷神社(式内 阿須利神社)
Contents
概 要
社 号 三谷神社
読み:みたに
延喜式神名帳 式内社 出雲国神門郡 阿須利神社
所在地 島根県出雲市大津町3559
旧地名 出雲国神門郡
御祭神
健磐龍命(たけいわたつ のみこと)
例祭日 11月3日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
神門郡(カムト):27座(並小)
『出雲国風土記』「阿須理社」
近代社格制度 旧無格社
創建 昭和37年(1962)現在地へ遷
本殿様式 大社造 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
道祖神(猿田比古命)、稲生神社(倉稲魂神)、延魂神社(磐長姫命)
金比羅神社(大国主命)、恵美須神社(八重事代主命)3社
下照姫神社(下照姫神、木花開耶姫命)
三輪神社(大物主神)、若崎神社(素盞嗚命)
社日神(天照皇大御神、少名彦神、埴安姫命、大己貴神、倉稲魂神)
総荒神、武内神社(武内宿禰命)
一口メモ
2009年初めて出雲に荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡、出雲歴史博物館と出雲大社ともに西谷古墳を訪れた。神社はその思い出の場所、西谷墳墓群の東北で西谷9号墳に鎮座する。
歴史・由緒等
健磐龍命(たけいわたつのみこと)とは、日本神話に登場する人物で、阿蘇神社の主祭神である。神武天皇の子である神八井耳命の子だが下記の伝説のように、阿蘇山の神としての性格も持つ。子に建稲背命、速瓶玉命(国造大神)、八井耳玉命(甲佐明神)。
由緒
当神社は戦国時代の初め(約500年前)、紀州熊野(和歌山県東牟婁郡)からお迎えして、上来原の大神谷(俗称おおかめだん)の山上にまつり、元禄5年(約300年前)、池の内の干拓に伴い、それまで同地の杓子山にあった阿須利神社を三谷山上に遷した機会に、いっしょに三谷の地に奉遷し、社号も三谷神社と改めましたが、明治3年、版籍奉還に伴う神社整理によって相殿の阿須利神社を山廻りの方へ遷すことになったため、それ以後はこの来原地区における唯一の守護神としてまつりきたったものを、昭和37年未曾有の水害により、現在地に三遷して今日に至ったものであります。
御祭神健磐龍命は神武天皇の御皇孫で、殖産興業の守護神であり、いかなる困苦にもうち勝つ、強い御魂を備えたまう大神であります。
例祭に奉納される獅子舞は、出雲古来の投げ獅子の型を伝えるもので、出雲市無形文化財、島根県無形民俗文化財に指定されています。「社頭掲示」
境内・社叢
参道表示板 一ノ鳥居
ニノ鳥居 手水
拝殿 拝殿側面
境内案内板
稲荷社・祠がいくつか
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
西谷墳墓群
出雲市街南東部の標高40メートル程度の丘陵に存在する。弥生時代後期から古墳時代前期にかけての2世紀末から3世紀に築造されたと考えられている。1953年(昭和28年)に確認され、現在は27号までと番外5号までの32基の墳墓、古墳と横穴墓が確認されている。このうち、1~4・6・9号の6基が四隅突出型墳丘墓である。
四隅突出型墳丘墓は出雲地方を中心とした特徴的な形をした弥生時代の墳丘墓で、この西谷墳墓群や安来市の荒島墳墓群に巨大なものが見られる。(ウィキペディア)
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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