式内 朱智神社
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概 要
社 号 朱智神社
読み しゅちじんじゃ
近世一環して牛頭天王社と呼称されていた
明治維新で天王社を古名の朱智神社に復す
延喜式神名帳 式内社 山城国綴喜郡 朱智神社
式内社 山城国綴喜郡 天神社
所在地 京都府京田辺市天王高ケ峰25
御祭神 主祭神 迦爾米雷王命(かにめいかづちのみこと・息長足姫尊[神功皇后]の祖父)
相殿 配祀神 天照国照彦火明命 (あまてるくにてるひこはかりのみこと・社記に主神の御父)・大筒城真若王(おおつつきまわかのみこ・開化天皇皇子日坐王[彦坐王]の子・また、開化天皇の孫、神功皇后の曽祖父に当たる)
例祭日 10月18日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
綴喜郡 14座(大3座 小11座)
近代社格制度 旧郷社
創建 仁徳天皇の御世(313-399)西峰山頂に創祀、宣化天皇元年(535)この地に遷座
本殿様式 一間社流造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
社殿の左右に13社
(左-7社)住吉神社(上筒男命・中筒男命・底筒男命-朱塗りでやや大きい)・大高神社(
三神社(
大土神社(大山御祖命)・白山神社(大山祇命)・稲生神社(豊宇気毘売神)
(右-6社)天津神社(伊邪那岐命・伊邪那美命-やや大きい)・皇大神宮(天照大神)・春日神社(
文化財
本殿 慶長17年 京都府指定文化財
牛頭天王像 京都府文化財
一口メモ
京都府南部の旧綴喜郡の式内社で甘南備神社とともに山深い場所にあり、難関の神社であった。山城国(京都府)・河内国(大阪府)・大和国(奈良県)が府県境を接する高ヶ峰山中(標高約300m)にある。あらかじめ登録しておいたGoogleのナビを頼りに天王集落の狭い急坂を登る。天王集落は高原で幾つもの小字があり、斜面のあちこちに人家が密集していて、歴史的に興味が湧く地区だ。辿り着いた時の感動はひとしおである。小型車なら参道前まで舗装されているが集落の間を急勾配が続く狭い坂道なので運転に自信がない方はバス停付近から徒歩の方が良いと思う。徒歩で登り参拝していた昔の人々の苦労を思うと、車で登るなど以ての外だが、式内社めぐりのお時間が限られているのでお許し願う。ハイキング、トレッキングには絶好のコースで、山中から木津川一帯が眺められる。
歴史・由緒等
迦爾米雷王命 (神功皇后 の祖父)を主神とし、古代にこの地帯一帯に勢力のあった息長氏 の祖神を祀っている式内社である。
社伝では、仁徳天皇のとき現在地より西方の西峰頂上に創建され、宣化天皇元年(535)天王号を付け、朱智天王と称したとされる。地名の「天王」はこれによるものとみられる。現在の本殿(京都府登録文化財)は、慶長17年(1612)の再建で、一間社流造、屋根は
檜皮葺 、向拝 の木鼻 の表には牡丹、裏には狐を彫り出し、正面蟇股 には唐獅子や牡丹など桃山様式の華麗な彫刻が多く見られる。本殿への石段耳石 には永正4年(1507)・天文10年(1541)の銘がある。牛頭天王像(京都府文化財)
頭上に牛頭をいただき、念怒の表情を持つ三面の顔をもち、唐様装束 の一木造の像である。平安時代後期の作で、類例の少ないものである。「社頭掲示板」
京田辺市教育委員会
京田辺市文化財保護委員会
貞観11(869)年、朱智神社の祭神として祀っていた迦爾米雷命(かにめいかづちのみこと)(牛頭天王ごずてんのう)が、祇園の八坂郷感神院(八坂神社の前身)に遷されたことから、八坂神社の元となる神社といわれている。貞観時代から続いた行事に、祇園祭のとき、朱智神社の氏子が奉じた榊を天王区の若者が八坂神社まで届ける「榊遷」という行事があり、現在では、行われていないが、その榊を受けて山鉾巡行を始めたと言い伝えられている。慶長17(1612)年に建てられた本殿は、京都府の登録文化財になっており、建物は一間社流造、屋根は桧皮葺で、向拝の木鼻や、蟇股には、桃山様式の華麗な彫刻が多く見られる。平成16年11月から1年6カ月を費やして屋根の葺き替えと彩色復元の修復事業が完成した。
京田辺市観光協会
境内・社叢
鳥居・社号標 鳥居扁額
社頭掲示板
社号石碑 二の鳥居
手水舎 狛牛
向拝・瑞垣
狛犬
向拝由緒板
本殿 本殿彫刻(薄暗いので露出不足でピンぼけ)
社殿左境内社 右境内社
地名・地誌
天王
朱智神社の称号「朱智天王」によるものとみられる
地 図
交通アクセス・周辺情報
近鉄京都線「新田辺」駅から京阪バスで「天王」下車、徒歩10分
車 駐車場なし。
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