綺原神社(式内 綺原坐健伊那太比売神社)
Contents
概 要
社 号 綺原坐健伊那大比売神社
読み かんばら
通称 綺原神社
明治までは梶原社
延喜式神名帳 式内社 山城国相樂郡 綺原坐健伊那大比売神社
読み カンバラ(カムハラ)ニマス タケイナダヒメノカミヤシロ
所在地 京都府木津川市山城町綺田山際16
御祭神 健伊那太比売命(たけいなだひめのみこと)
例祭日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
相樂郡 6座 大4座 小2座
式内社
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式 一間社流造
境内摂末社(祭神)
左手 天照皇大神宮・蛭子社
右手 春日社・市杵島姫社・九元社・天神社・倉稲魂社・春日社
文化財
一口メモ
湧出宮前のJR奈良線棚倉駅から北へ直線距離で約1.4kmだが、府道40号線に出て橋を渡る。府道から集落内の細い道を進み、蟹満寺前の川土手の坂に鎮座。山城町綺田は“”カバタ”で、綺原神社は“カンバラ”と読む。相楽郡の式内社は難解なものが多い。祝園神社(ホウソノ)、相楽神社(サガナカ)などで、なかなか憶えられない。
歴史・由緒等
ここに鎮座されます綺原神社は「大日本史」「日本書紀」「延喜式」にも綺原座伊那太比売神社として記述されており、祭神は「タテイナダヒメ」とされタテは健康イナダは稲田で達者で農耕にいそしめるよう祈願されたものだと考えられます。
ここの地名「綺田」はその昔、紙織または神織とも呼ばれ、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を祀った社とも言われており綺氏一族(秦氏一族)の創起だと言われております。
現在は菅原道真公を祭神とする天神社及び八王子社をおまつりしております。「社頭掲示板」
当社は、明治10年(1877)6月に式内社として決定された神社で、それまでは“梶原社”と呼ばれ、庶民の間では、梶原景時(鎌倉初期の武将・源頼朝の家臣)の霊を祀るとされていたようである。
祭神・健伊那大比売(タケイナダヒメ)に関する資料皆無のため、その出自などは不明。
為に、これを“奇稲田姫”(クシイナダヒメ)とみる説がある(神名帳考証-1733・大日本史神祇志-1873)という(式内社調査報告)。クシイナダヒメとは“霊妙な稲田の神”と解される女神で(記紀・八岐大蛇段に見える)、その意味では、由来がいう“健康+稲田”と通じるものがあるが、タケイナダヒメ=クシイナダヒメとする確証はない。
ただ、祭神が稲田即ち農耕に通じるとすれば、機織りを業とする綺氏一族が祀る神としては如何かとも思われる。
「戸原のトップページ」さんより
境内・社叢
社号標 手水舎
拝殿
狛犬
本殿左手境内社 本殿右手境内社
地名・地誌
綺田(カバタ)
昔は紙織(カムハタ)または神織(カムハタ)とも呼ばれた。
地図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「戸原のトップページ」さん、「延喜式の調査」さん
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