福長神社(式内 宮中 福井神 綱長井神)
Contents
概 要
社 号 福長神社
読み ふくなが
別名 「福長稲荷」
延喜式神名帳 式内社 福井神 綱長井神(つながいのかみ)
所在地 京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538
御祭神 福井神(さくいのかみ) 綱長井神(つながいのかみ)
例祭日 11月8日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
宮中式内社 36座(大30座、小6座)
座摩巫(いかすりのかみ/ざまのかみ)祭神 5座 並大 月次新嘗
式内社
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 一間社流造
境内摂末社(祭神)
一口メモ
京都御所のすぐ西側、烏丸今出川の西一筋目の室町通沿いにある小社。京都の一番賑やかな洛中の市街地にある。この日最終の日の入り間際なので、ストロボ撮影となる。式内社。
歴史・由緒等
本社は福井神、綱長井神、稲荷神を祭神として祀る。社名は、福井、綱長井の二神を合祀することによるが、稲荷神も合祀することから「福長稲荷」とも呼ばれた。
福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院(現在の大宮竹屋通辺り)に祀られていた延喜式内社、宮中神の
座摩巫祭神 五座(生井神 、福井神 、綱長井神 、波比祇神 、阿須波神 )のうちの二座である。現在の地に遷された経緯については、社伝によると天正年間、豊臣秀吉の聚楽第造営、あるいは廃城の際と伝えられるが、天正二年(1574)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中外図屏風(狩野永徳筆)には、すでに現在地に福長神社が描かれている。
天明の大火(1788)で焼失した後は小さな祠となったが、明治時代以降も「水の神」(屋敷内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている。
-京都市- 「社頭掲示板」
平安時代に作成された延喜式神名帳で、大内裏に宮中式内社36座(大30座、小6座)が祀られた。その後平安京衰退や御所の移転により廃絶、明治に東京遷都により皇居内宮中三殿に遷されたが、京都でその継承とされる社は、ここ福長神社と二条の大宮姫稲荷神社の二社のみである。
境内・社叢
社頭掲示板
神明鳥居 手水舎
社殿 本殿
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式の調査」さん
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