双栗天神社(京都府綴喜郡宇治田原町岩山)
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概 要
社号 双栗天神社
読み さぐりてんじんじゃ
旧字 雙栗天神社
江戸時代は「天満宮」と称していた
延喜式神名帳 式内社 山城国久世郡 双栗神社三座 鍬靫
読み サクリ(ナミクリと読む資料(特選神名牒・1876)もある)
所在地 京都府綴喜郡宇治田原町岩山上田13
御祭神 天穗日命(あめのほひのみこと) 事代主命(ことしろぬしのみこと) 大歳神(おおとしのかみ) (配祀) 菅原道眞
本来は奥の院の岩を神座とする
例祭日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
久世郡(クゼ) 24座(大11座・小13座)
式内社
近代社格制度
創建 宣化天皇3年9月7日創祀
本殿様式 一間社流造 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
3社と奥に1社あるが詳細は不明
一口メモ
山城国木津川沿いの式内社巡りで、ルートから距離があるため、かなり思案した。城陽市市辺の粟神社から北東へ約8km。しかし、この機会を逃せば宇治田原町に行く機会もないので訪ねることにした。狭い旧道を進み宇治田原町役場前を過ぎ、すぐそばまで来ているのに神社の参道が分からず、ようやく斜めに登る参道入口を発見。
歴史・由緒等
双栗神社は当初この地に鎮座と伝。
その後久御山町佐山の現在の地に。
ネット検索しても当社のデータが乏しい。久世郡久御山町佐山にある式内双栗神社の元宮とされるがどうなのだろう。久御山町佐山から約10km離れているし、式内双栗神社は久世郡とあるのに、双栗天神社は綴喜郡である。江戸時代は「天満宮」と称していたので、本来の祭神は菅原道眞で、双栗神社三座は神社号復古願(1882)によれば、天照大御神・須佐之男命・事代主命である。当社は天穗日命(あめのほひのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・大歳神(おおとしのかみ)となっており、事代主命以外は双栗神社三座と共通性はないが、なぜ双栗の天神社なのだろう。
境内・社叢
一ノ鳥居 二の鳥居・社号標
手水舎 三の鳥居・拝殿・舞殿
狛犬
拝所 本殿
本殿左手 山の神 本殿右手境内社
本殿右手境内社 境内右手 神武天皇遥拝所
左手中腹に祠 奥の院の岩を神座とするとあるのでその祠か?
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式の調査」さん
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