名神大 水尾神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 水尾神社
読 み みずおじんじゃ
江戸時代は「河南社」(かうなみ)「河北社」(かうほく)

式内社 近江国高嶋郡 水尾神社 二座 (並名神大月次新嘗)

所在地 滋賀県高島市拝戸716

御祭神 磐衝別命いわつくわけのみこと(第11代垂仁天皇の第十皇子) 比咩神ひめがみ
例祭日 5月3日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座  大 13座  小 142座
高嶋郡 34座  大2座  小32座
水尾神社 二座 (並名神大月次新嘗)

近代社格制度 旧県社
創建     伝:天平神護元年(765)
本殿様式   一間社流造

境内摂末社(祭神)

八幡社(3社相殿)
神明神社(天照皇大神、豊受大神)
八幡神社(応神天皇、速総別命(応神天皇皇子))
秋葉神社(火結命)

一口メモ

早朝夜明けから、湖西から湖南も大津市、草津市、守山市、野洲市の式内社を回るのに、最初のスタート。まだ明るさが十分ではないので、露出不足。。。

近江高島駅から北西へ約3km。

歴史・由緒等

本神社創建は不詳であるが既に天平神護元年(765)には神戸十三戸の奉充があった。
延喜式内の古社で東山道の官幣大社五座の中の二座(河南社・河北社)を占め、社域は現在より相当広大であった。
本殿(元河南社)には垂仁天皇の皇子である磐衝別命を祀り、河北社(現在は本殿脇の小祠)には継体天皇の生母振姫を祀っている。
磐衝別命はこの高島の地を本拠として栄えた三尾君の祖であることは古事記日本書紀に明らかである。姫宮である振姫は高島の別業高島宮に居られた彦主王の妃で越前三国より迎えられ当社拝殿を産所として三児を出産されたと伝えられる。この皇子の一人男大迹王が後の継体天皇となる。
江戸期には八代将軍吉宗が神輿一基を奉納、九代家重公は社殿を再建共に現存している。
境内には鎌倉中期の石灯籠や供養塔の残欠が数多く残っている。
又、当社背後の杣山(三尾山)は古来より歌枕としても有名で万葉集をはじめ数々の歌が詠まれている。
五月雨になほ川音も高島や
水尾の杣山雲もなかれむ  草庵集頓阿
宮司謹書 「社頭掲示板」

式内社で年4度の奉幣の他に名神大社として臨時大祭にも奉幣があった。延暦3年従五位下、貞観5年従四位下の神位を授けられ、明治15年郷社、大正4年県社に列格。磐衝別命は猿田彦の天成神道を学ぶ為当地に来住され朝夕猿田彦命を祀る三尾大明神を遙拝されたのでこの地を拝戸と称した。そして磐衝別王は当地で亡くなられたので、その子磐城別王は三尾山に葬り、父君を奉斎する水尾神社を創建されたという。
以後100年後、応神天皇の第11皇子速総別王も天成神道を学ぶ為に拝戸を来られ、4世孫彦主人王は磐城別王の5世孫振姫を迎えて妃とし、振姫は当社の拝殿を産所として天迹部王、男迹部王、太迹部王の三児を同時に安産した。これが後の継体天皇と伝えられる。
-「滋賀県神社庁」-

境内・社叢

  
一の鳥居                      社号標

  
二の鳥居                      境内・拝殿

  
本殿・中門                     本殿


本殿右手 摂社八幡社

  
左手に立派な水尾庭園

  
左手巨石                    右手 祓い岩

地名・地誌

地図

滋賀県高島市拝戸716

交通アクセス・周辺情報

鴨稲荷山古墳、拝戸の古墳群

参 考

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