村社 松上神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 松上神社
読 み まつがみじんじゃ

古称 松上明神
『国司文書・但馬故事記』『国司文書別記 但馬郷名記抄』
所在地 兵庫県美方郡新温泉町伊角4
旧地名 但馬国二方郡熊野郷(のち温泉郷)
御祭神 国常立命クニノトコタチノミコト
宇摩志麻遅命 『国司文書別記 但馬郷名記抄』
御神紋
例祭日 10月8日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳 (欽明天皇30年(569)以降 『国司文書 但馬故事記』より推定)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

Google Mapのナビでは、香美町村岡区味取から新温泉町桧尾・伊角へ県道550号線のルートを示したので、味取から進むと採石場があり、ダンプカーが往来している。そこから右に県道を進むと冬季通行不可と標識があり、危なそうなので断念し、国道9号線に戻り、竹田交差点から熊谷・伊角・久斗山を目指すことにした。あとでネットで通行されたルポがあった。舗装されているものの、幅員が狭く対向車があればすれ違いできる場所はなく、ほとんど利用されていないようだ。先日熊谷から伊角・桧尾をめざし、桧尾で間違えて右に行き春来に出てしまった。左下に桧尾の人家が見えたが、数軒程度で村社春日神社は県道550号線沿いになっているが、森林に覆われ分からない状態のようである。これらは村々を結ぶ古道だったのだ。日没近くにすれ違い不可の狭い道はもし車が故障したらどうなるのかと心細いことこの上ない。

調べてみると松上神社は、当社の他に同じ新温泉町の飯野 猿田彦神、高末 国常立神がある。高末の松上神社の御祭神は同じ国常立神であり、当社とゆかりがありそうだ。高末の隣正法庵にも国常主神を祀る常立神社で久斗山の周辺にあることが共通している。松上は松神で久斗山には松の木が繁っていたのかも知れない。

歴史・由緒等

創立年月不詳
延宝6年(1678)本殿を再建し享保5年(1720)同殿を再造す。
文化2年(1805)本殿を再建し文政11年(1828)同殿を再興す。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

人皇27代継体天皇24年(540)秋7月 前原真若伊知命の子、伊角大若彦命を以て、二方国造と為す。伊角大若彦命は、宇多中大中彦命(亦の名は須賀狭津男命)の娘、宇志賀毘売命を娶り、檜尾真若彦命を生む。

人皇30代欽明天皇30年(569)秋7月 伊角大若彦命の子、檜尾真若彦命を以て、二方国造と為す。

人皇35代舒明天皇12年(640)春3月 檜尾真若彦命の子、真弓射早彦命を以て、二方国造と為す。

『国司文書 但馬故事記』

『国司文書 但馬故事記』によれば、伊角村社松上神社の祭神は元は伊角大若彦命、桧尾の春日神社の元の祭神は檜尾真若彦命で、創建は、檜尾真若彦命が二方国造となって以降であるから、欽明天皇30年(569)以降、桧尾の春日神社は舒明天皇12年(640)以降に創建されたことになる。

春日神社 兵庫県美方郡新温泉町桧尾279
旧村社
主祭神 天児屋根命アメノコヤネノミコト
配祀神 建御雷命タケミカツチノミコト 経津主命フツヌシノミコト
由 緒
創立年月不詳 応永34年(1427)社殿を造営し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。

境内・社叢

  
鳥居                       手水鉢

   
御神燈

  
社殿

地名・地誌

伊角

伊角は物部伊角在住の地なり。この故に物部の祖、宇摩志麻遅命を祀る。『国司文書別記 但馬郷名記抄』

地 図

兵庫県美方郡新温泉町伊角4

交通アクセス・周辺情報

国道9号線竹田を県道47号線、549号線、熊谷で550号線で伊角下バス停を入る。

参 考

Follow me!


0件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA