村社 五十鈴神社
Contents
概 要
社 号 五十鈴神社
読み いすずじんじゃ
与等神社 祭神
所在地 兵庫県美方郡新温泉町用土2
旧地名 二方郡田公郷与布土
御祭神
御神紋
例祭日 9月17日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳 (『国司文書 但馬故事記』(天延3年 975)に記載あるのでそれ以前)
本殿様式
境内摂末社(祭神)
一口メモ
県道47号線金屋口交差点の北約730m、東に岸田川にかかる普通車一台が通れる橋を渡り、山の麓にある。農道に神社参拝用と思われる駐車スペースがある。用土の村社なのに、集落からずいぶん離れた対岸にある。
歴史・由緒等
創立年月不詳
早くより伊勢神宮と交渉ありし地にして、建仁2年(1202)紙800帖を此の附近より神宮に致したる事あれば、早くより当社の創立せし事実を知る。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。「兵庫県神社庁」
彦太忍信命は、第8代孝元天皇皇子で、武内宿禰の父または祖父である。『日本書紀』では武内宿禰の祖父、『古事記』では父。ともに事績に関する記載はない。
熊谷の香椎神社は、「伝え云うところに、往古武内宿祢の末流某因幡くに法美郡宇部野より9人の従者と共に移住し来たり堂の山に社殿を建てて仲哀天皇、神功皇后、武内宿祢の神霊を鎮座せしに創まる。」とある。おそらく熊谷、今岡、金屋(以上熊野郷、のち温泉郷)を開いた同族の子孫が、今岡の隣の郷ではあるが、田公郷用土を開き、武内宿禰の父または祖父である彦太忍信命を祀ったものではないだろうか。用土は元々田公郷であるが、田公郷が秦公在住の地で、秦公郷がのち田公郷となった(『国司文書別記 但馬郷名記抄』)と由来が武内宿禰あるいはその一族ではないから、彦太忍信命、武内宿祢系の熊谷、今岡、金屋と関係性がみられる。
境内・社叢
県道にある御神燈 鳥居
神橋 本殿覆屋
子供が一緒にいる珍しい狛犬 狛犬
手前境内社
地名・地誌
用土(ようど)
田公郷与布土
与等神社から、「ヨド」と呼んでいたとすれば、川が合流する淀のことではないだろうか。淀の異体字は澱で「よどむ」。岸田川に支流の熊谷川が合流する下流地点に用土の田畑と神社はある。
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