村社 天満神社(豊岡市但東町奥矢根)
Contents
概 要
社 号 天満神社
読 み てんまじんじゃ
別 名 但馬天満宮
所在地 兵庫県豊岡市但東町奥矢根1097
旧地名 出石郡埴野郷
御祭神
高麗国人宝輪王 『国司文書・但馬故事記』(推定)
例祭日 10月5日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳 (人皇21代雄略天皇2年(458)『国司文書・但馬故事記』)
本殿様式
境内摂末社(祭神)
一口メモ
国道426号線矢根交差点を北へ約1.5km。奥矢根は初めてだ。細長いが開けた谷で一つの区としては広大。奥矢根鉱山があった。当社はその中間で川の東の麓。「兵庫県神社庁」に「一族来たり住して道真を祀りて天満天神と仰ぐ」とあるが、どういう由来で今の菅原道真を祀る天満神社(天満宮)となったかは分からない。承久3年(1221年)但馬守護太田昌明の本拠地となったころの太田氏の一族か?
歴史・由緒等
創立年月不詳
此の地方に土師部の住せるより見れば、蓋 し物部天神か。伝え云う菅原道真の左遷せらるるや。一族来たり住して道真を祀りて天満天神と仰ぐに至りしものならん。
天明8年(1788)社殿を再興し明治6年(1873)10月村社に列せらる。「兵庫県神社庁」
人皇21代雄略天皇2年(458)秋8月 磯部臣命の子、埴野命を以て、出石郡司と為す。埴野命は磯部臣命を出石丘に祀る。(式内 石部神社)
17年春3月朔 天皇土師連等に勅して、朝夕の御膳 を盛るべき清器 を進ぜしめ給う。
これにおいて、土師達の祖、吾笥 は、すなわち
摂津国来狭々 村(大阪府豊能郡能勢町宿野)、山背国内村(京都府八幡市内里)・俯見村(いまは京都市伏見区)、伊勢国藤形村(三重県津市藤方)および丹波・但馬・因幡の私民部を進め、贄土師部 と云う。
丹波国天田郡土師村(いまの福知山市土師)・因幡国智頭郡土師村(鳥取県八頭郡智頭町埴師)、但馬国出石郡埴野村(兵庫県豊岡市出石町桐野)・養父郡土田村(朝来市和田山町土田)・気多郡陶谷村(兵庫県豊岡市日高町奈佐路)・美含郡阿故谷村(兵庫県豊岡市竹野町阿金谷・羽入・須谷・鬼神谷・小丸)これなり。
美含郡陶居村は、この郡埴野村埴田の陶人が移住して、陶器・土師を作る所。その子孫埴生に帰り、その業を営む*1。この郡の贄埴師が居るところを
挺師 村という。(のち矢根)
埴田の陶人が居るところを埴田山と云う。(埴田はいまの但東町畑では?)
清器を作るところを御出石村(いまの水石)と云う。鋺師 ・陶人 は此の所に居る。
贄埴師部は野見宿禰命を挺師村に祀り、(賀茂神社:但東町矢根)
埴田陶人は阿笥命を埴田山に祀り、
鋺師陶人はその祖、高麗国人宝輪王を弖良坂 山に祀る。(推定)
賀茂神社・埴田神社・鋺師神社はこれなり。『国司文書別記 但馬故事記名記抄』第五巻・出石郡故事記
*1 第一巻気多郡故事記には、「18年春4月 気多郡陶谷村の人、陶谷甕主、出雲国阿故谷の人、阿故氏人、小碗氏人等美含郡に入り、阿古谷・陶谷・埴生・小碗において、陶器・清器の類を作り、部落を為す。」
「鋺師陶人はその祖、高麗国人宝輪王を
境内・社叢
社号標 社叢・神橋
鳥居 社号標
社号標「天満神社」 御神燈
社号標横の手水鉢 境内にも手水鉢が2ヶ所
拝殿 改装中(H28.9.23)
本殿
本殿左手境内社 資料が少ない村社等は自ら調べるしかない。
地名・地誌
矢根・奥矢根
『国司文書・但馬郷名記抄』には、
出石郡埴野郷
埴野郷は贄土師部在住の地なり。この故に名づく。
日野辺・桐野・御出石・埴部・埴師部・出合
『太田文』曰く出石郡
村数
上野・日野辺・桐野・寺坂・
右土野庄と云う。これより東を、すべて山ノ中と称す。
市場・
右
今の矢根は賀茂神社が『国司文書・但馬故事記』の加茂土師部神社と思われるので、残る埴部が奥矢根では?
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