水石神社
Contents
概 要
社 号 水石神社
読 み みいずしじんじゃ
式内 御出石神社
所在地 兵庫県豊岡市但東町水石447
旧地名 出石郡埴野郷御出石村 のち水石村
御祭神
御神紋
例祭日 10月6日
社格等
近代社格制度 無格社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
なし
一口メモ
豊岡市出石町桐野の名神大 御出石神社の東約4.6km。水石集落と川を挟んだ反対側の北の麓に小社が建つ。
現在の名神大 御出石神社は、尾根の西側桐野にある。水石は御出石村からきていると思われ、出石郡発祥は水石を含めた旧
歴史・由緒等
(詳細不詳) 「兵庫県神社庁」
『国司文書別記 但馬故事記 第五巻・出石郡故事記』は、ここからはじまる。
国作大己貴 命は、出雲国より伯耆・稲葉(因幡)・二県国(二方)を開き、多遅麻(但馬)に入り、伊曾布(射添)・黄沼前(城崎)・気多・津(佐須?)・水石(御出石)の県を開きませり。
大己貴命、この郡(出石郡)に在りました時、地上に数夜光あり、命はその光を尋ねて、地を穿つこと数仞 にして、白石を得たり。その白石を忽然と化して女神となる。
命 問うて曰 く「汝は誰か」
女神答えて曰く「妾 は稲葉(因幡)の八上姫なり。吾が夫神嫡妻を愛す。故れ御子 一人を木の俣に置いて去れリ。
しかりといえども愛慕 *1を思いて止まず。ここに在りて、夫神の去るを待つなり。一箇 の御子は、大屋の御井 の許 に在りと。(式内御井神社:養父市大屋町宮本)
命これを聞いて、これに対して曰く「愛しき少女かな。われ故愛慕す」と。
まぐ合いて、御出石櫛甕玉 命 を生みます。
御出石櫛甕玉命は、天火明 命の娘、天香山刀売命 を娶 り、天国知彦命 を生む。
人皇1代神武天皇は、天国知彦命を以て、御出石県主 (初代)と為し給う。
6年春3月 天国知彦命は、国作大己貴命・御出石櫛甕玉命を水石丘に斎き祀り、御出石神社と称しまつる。*1愛慕 愛して、そばにいたいと思うこと。特定の人に心惹かれて、心に思い続けること。
『校補但馬考』に、
延喜式曰く御出石神社、名神大、今この神社なし。他の荒神二社あり。或いは伝桐野賀茂大明神これなりと。然るに、桐野・御出石ともに、式内にありて、もとより二社なり。今混じて一つにしかたし。また此の地に、木船大明神(貴船)あり、俗に賀茂の御前と称す。これ実の桐野神社にて、賀茂はいよいよ御出石神社なるか、式に大社とあれは、妄りにはたえしとちもある(みだりには絶えしとおもはる)。
以上の資料を総合すれば、賀茂大明神(加茂大明神)があった地に、もともと水石村と桐野村境に座していた御出石神社が、出石川の洪水のため流され、埴野郷五村の氏神として現在地に遷したと伝わる。現在ここ水石内に小さいながら別に水石(御出石)神社があるし、桐野にも別に桐野(貴船)神社がある。
『国司文書別記 但馬故事記 第五巻・出石郡故事記』で水石県と御出石県は同音異字と分かるが、御出石県の名は、旧埴野郷御出石から由来するものと思われる。つまり御出石神社の元の所在地は水石丘とあるから、今の水石と桐野境の丘にあったのではないだろうか。現在地の名神大 御出石神社は、土野(埴野)庄の郷の中心部に位置する出石川南岸へ遷座したものではないかと思われる。
当水石神社は、但記に「水石丘に祀る」とあるので、水石丘と思われる集落の西の山ではないので古社地ではなかろう。名神大御出石神社と式内桐野神社は、少なくとも明治の頃わからなくなっていたようである。『国司文書別記 但馬故事記』で、出石郡に最初に祀られたのは、御出石神社であり、同じく名神大 出石神社は、「人皇6代孝安天皇61年天日槍命が多遅麻国造となり、人皇7代孝霊天皇38年 天日槍命の子、天諸杉命が多遅麻国造となって、40年 天諸杉命は天日槍命を出石丘に斎き祀り、かつ八種神宝を納む」のである。
境内・社叢
鳥居 社号標
地名・地誌
『国司文書・但馬郷名記抄』には、
出石郡埴野郷
埴野郷は贄土師部在住の地なり。この故に名づく。
日野辺・桐野・御出石・埴部・埴師部・出合
『太田文』曰く出石郡
村数
上野・日野辺・桐野・寺坂・
右土野庄と云う。これより東を、すべて山ノ中と称す。
市場・
右
地 図
交通アクセス・周辺情報
ホームページ
6件のコメント