村社 大蔵神社(養父市八鹿町青山)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 大蔵神社
読 み おおくらじんじゃ
江戸時代は大蔵山大明神
所在地 兵庫県養父市八鹿町青山82-2
旧地名 但馬国養父郡浅間郷大蔵村のち青山村
御祭神 主祭神 高皇産日命タカミムスビノミコト
配祀神 高倉下命タカクラジノミコト

阿智王 『国司文書 但馬故事記』
御神紋
例祭日 10月17日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳(養老7年(723) 『国司文書 但馬故事記』)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

稲荷社・他

一口メモ

青山は得意先があって定期的に配達したところ。久しぶりに坂を登る。集落下に区の駐車場があって、そこからUターンして集落内への細い坂道を登る。神社参道は公民館手前から徒歩で上るしかない。

歴史・由緒等

創立年月不詳
宝永3年(1706)正遷座を奉仕し当時大蔵山大明神と称せり。文化10年(1813)本殿を再建し、明治6年(1873)10月村社に列せられる。同24年(1891)本殿覆を再建せり。

「兵庫県神社庁」

人皇42代文武天皇大宝元年冬12月 朝来郡司荒島宿祢の子、磯継を以て、夜父郡司と為し、保奈麻臣(前夜父郡司)の甥、寺人を以て、主政と為し、その弟、少君を以て、主帳と為す。

(中略)

人皇44代元正天皇養老7年(723)春2月 但馬国の人 寺人・小(少)君・椅人・寺君・由君等五人に改めて、道守臣の姓を賜う。
道守臣は武内宿祢の男、波多矢代宿祢の後なり。
道守臣寺人は、その祖、波多矢代宿祢を盈岡に祀る(式内 盈岡神社:朝来市和田山町宮内42)。
石禾イサワ邑はその所領なり。
主典、大蔵宿祢散味は、その祖、阿智王を青山に祀り、大蔵神社と申しまつる。
阿智王は後漢の霊帝劉宏リュウコウの*1男子、延王の子孫なり。

*1 劉宏 後漢12代皇帝

『国司文書 但馬故事記』第三巻・養父郡故事記

境内・社叢

  
参道入口の境内社                   鳥居

   
鳥居                         境内

   
狛犬

  
本殿覆屋                       本殿右手境内社


本殿左手境内社 稲荷社

地名・地誌

青山

『国司文書 但馬郷名記抄』
浅間郷

浅間郷はアラ間郷なり。麁木建て新宮殿間の義。浅間神社あり。天照国照櫛明玉道姫アマテルクニテルクシアカルタマミチヒメ命を斎き祀る。この命は、天道根命の娘にして、天火明アメノホアカリ命の妃なり。(東奇霊宮、のち式内浅間神社)
また奇霊日クシヒ神社あり。天照国照櫛玉天火明命を斎き祀る。(西奇霊宮、のち式内クス神社)
稲栄大生原イナサノオホオヒハラ大恵保オホエボ・船山・小田・兵庫ヤグラ・伊久刀・進美寺・大蔵・田中

『太田文』村数12
上小田・下小田・伊佐・坂本・大江オエ岩崎イワサイ・浅間・宿南シュクナミ深谷ミタニ・赤崎・浅倉

※稲栄大生原が分かれて伊佐・浅間、大恵保が大江、船山が坂本、兵庫が浅倉、伊久刀が赤崎、大蔵が青山、田中が宿南

地 図

兵庫県養父市八鹿町青山82-2

交通アクセス・周辺情報

ホームページ

参 考

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