式内 奴々伎神社
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概 要
社 号 奴々伎神社
読み: 古 ヌヽキ、現 ぬぬぎ
所在地 兵庫県丹波市氷上町稲畑字泉山210
旧地名 丹波国氷上郡沼貫庄、氷上郡沼貫村
御祭神 日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと) 配 神大市比賣命(かむおおいちひめ)
例祭日 10月17日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
氷上郡(ヒカミ):17座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 流造
境内摂末社(祭神)
佐田神社 大年神社 八幡神社
一口メモ
国道175号線と176号線、県道7号線の稲継交差点から西へ1.4kmで斜め左に折れる。そのまま進み、176号線から直角に左折し、稲畑集落の神社までまっすぐな道もあるが、こちらのほうが近道。
割り拝殿のような下を潜り抜けて社域に入る形式は、この地域では芹田神社でも見受けられる。舞殿のようだが。佐野にある矢降神社がわからなくて時間がかかり、当日最後の神社探訪となった。日没前で写真が露出不足なので暗いのはご容赦ください。
歴史・由緒等
創建は古く、延喜5(905)年の神明帳には式内神社として記されています。秋の祭礼には、子供相撲をはじめ谷村の新発意踊りや新郷の大神楽が奉納されます。
丹波市観光協会
御由緒
創立年月不詳初め高見山に鎮座せしも其山麓に大沼ありしかば沼池大神と尊稱す。
仁和3年(887)の地震に社頭破損し、同年7月14日大雨にて社殿倒壊す故に假殿を建て、寛平5年社殿を再建す。
延長4年神社古跡調査の際由縁を上申し、嘉暦2年當社境界に仁木越後守城郭を築き高宮城と云ひ當社を守護神とす。
其後建武2年仁木伊賀守久下時重と計り足利高氏に應ず江田義行之を攻めて同4年落城せしむ時に社頭悉く焼失せしも幣及び鏡矢等は稲畑村東方へ降るにより其所を矢降塚と云ひ泉山西の麓に幣矢を勧請して矢降塚と名付け社殿を造り矢降大明神と號す。
天和2年再建の時大年神を祭る明治6年10月村社に列し同41年11月25日本殿の位置を境内の山腹に變更し拝殿を新設す。
合祀神社には、同35年5月27日佐田神社、同41年10月1日大年神社、同42年5月26日無格社八幡神社なり。
「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年
奴々伎神社論社
伊尼神社
兵庫県丹波市氷上町新郷1747
奴々伎神社
兵庫県丹波市氷上町稲畑字泉山210
矢降神社
兵庫県丹波市氷上町佐野字前山15-1
式内 伊尼神社の御由緒に、古へより伊知宮と稱へ奉る(延喜)。…當社は沼貫庄の總社として又西丹波一帯の地方民の尊崇仰慕厚く例祭の如き「立會祭禮」と稱して西丹波地方より神輿又は段尻(屋臺 )を奉じて當社に集まり渡御に加列扈従し壮觀を呈し地方稀なる祭禮として遠近より参拝するもの多く總社として崇敬し来れり。
昭和十六年十月十五日舊社名奴々伎神社を伊尼神社に復古改稱、とある。
おそらく、沼貫庄の總社なので奴々伎神社と名乗っていたが、伊尼神社に復古改稱したとあるから、新郷という地名からも奴々伎神社があるべき沼貫庄の元々の中心地ではないし、伊尼神社がふさわしいのだろう。ならば、当社が式内社 奴々伎神社の古社地に近いのかも知れない。
境内・社叢
割拝殿 鳥居
拝殿 本殿
狛犬
境内社
現地情報
地名・地誌
地 図
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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