式内 湯次神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 湯次神社
読 み おおばじんじゃ
式内社 近江国淺井郡 湯次神社
別 名 江戸時代は「日吉神社神」

所在地 滋賀県長浜市大路町785
御祭神 主祭神 健御名方命タケミナカタノミコト 瀬織津姫命セオリツヒメノミコト

御神紋 左三ツ巴
例祭日 4月12日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
淺井郡 46座  大1座  小45座

近代社格制度 旧郷社
創建 崇神天皇の世に勧請
本殿様式 三間社流造
拝殿様式 入母屋造 間口三間 奥行三間

境内摂末社(祭神)

北野神社 少彦名神社 熊野神社 大国主神社

一口メモ

歴史・由緒等

日本総国風土記第18浅井郡浅筒に、湯須神社圭田29束、安康天皇元年に始めて御名賀多命を祭る、雄略天皇2年に瀬織津比咩を祭るとの所載がある。元禄年中社寺取調書上帳によれば湯次の荘の総社で、南は今荘、西は細江、北は三川等近郷併せて48村を擁していたが、天明年間から漸次減少し、現在は4個字の祭祀となっている。姉川合戦の戦火によって社殿その他烏有に帰したが、逐次復興した。その後明治14年に火災、同17年には大洪水、降って同24年に震災、同48年大洪水堤防決壊等の災害が相ついたので、姉川五百川の合流点近くに在った社殿を現地点の高地に明治30年移遷した。前後して郷内に古くより鎮座されていた前記境内社をもこの神域に移したのである。明治9年村社に列し、同15年郷社に昇格し神饌幣帛料供進指定となる。

「滋賀県神社庁」

境内・社叢

  
鳥居                        社号標

  
手水舎                       拝殿

  
狛犬

  
中門                       本殿


境内社 大国主神社

  
熊野神社                     北野神社(天満宮)

  
境内右手 少彦名神社

地名・地誌

地 図

滋賀県長浜市酢110

交通アクセス・周辺情報

姉川古戦場跡

参 考

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