式内 保久良神社
Contents
概 要
社 号 式内 保久良神社
読 み ほくらじんじゃ
通 称 ほくらさん
江戸時代は「牛頭天王社」と称していた
所在地 神戸市東灘区本山町北畑680
御祭神 主祭神
配祀神
元来は椎根津彦命が主神として奉齋せられていたと思われる
御神紋
例祭日 5月5日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
莵原郡 3座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 流造銅板葺
境内摂末社(祭神)
祓御神社
文化財
昭和42年兵庫県観光百選
一口メモ
大通りから細い道を六甲山系麓へ進むと、登山道のため、一般車は進入禁止となっている。毎日登山をされている方が多い。
歴史・由緒等
当社は古代祭祀の遺蹟地と認められ、境内外地の環状岩籬の(磐座、磐境)内より石器類、弥生式土器が多数出土し、重美に認定された銅戈等も発掘された。その何れもが実用を離れ、儀礼的用途をもつものと考証され、祝部土器、玻璃製曲玉も発見されたことから祭祀の由来も極めて古きものと証明された。
中古の延喜式には社格、社名が登載されており、近年改築時には鎌倉期の青銅製懸仏が瓦の下より発見されている。
『摂津誌』には、建長2年(1250)重修の棟札を所持せる事が記載されている。往昔より本庄の庄の総氏神にして、社頭の灯明台の神火は“灘の一つ火”として、「沖の舟人たよりに思う灘の一つ火ありがたや」の古謡通り広く崇敬され航海者の一針路となっていた。
これは祖神の事蹟である海路嚮導を追慕し、昔はかがり火を燃やし、近古は種油にて神火を点じつづけ1日も絶やさず奉仕を伝承してきた。 多数の弥生式土器の破片や石器類、銅戈が出土し、又古代祭祀の遺蹟地であった。祭祀用具の収藏庫即ち、秀倉(ホクラ)、神聖な収藏庫のある場所から発祥した名称ではないかと思われる。
社殿の周りには巨岩の磐境群がある。社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯である。その言われは、日本武命が熊襲遠征の帰途、夜に航路がわからなくなった時、保久良神社の灯火が見え無事に難波へ帰りつけた事にあり、以来「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」の古謡通り、広く崇敬され、航海者の一針路となっていた。「兵庫県神社庁」
境内・社叢
鳥居 手水舎
狛犬
拝殿 本殿
祓御神社 稲荷神社
「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯
地名・地誌
弥生時代の高地性集落
地 図
交通アクセス・周辺情報
交通公共 ◆阪急電鉄神戸線「岡本駅」より東北へ1km
◆JR「摂津本山駅」より東北へ1.3km
交通・車 登山道のため、一般車は進入禁止です。
駐車場 なし
ホームページ なし
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