名神大 穴師坐兵主神社(奈良県桜井市穴師)
Contents
概 要
社 号 穴師坐兵主神社
式内社 大和国城上郡 卷向坐若御魂神社 名神大(月次相嘗新嘗)
式内社 大和国城上郡 穴師大兵主神社
読み: 古 アナシノ、現 あなせにいますひょうず
所在地 奈良県桜井市穴師1065
旧地名 大和国城上郡
御祭神 左殿 大兵主神 中央 兵主神(御食津神) 右殿 若御魂神(稲田姫命)
例祭日 4月8日 例祭 10月21日 例祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
城上郡[シキノカミ]:35座 大15座 小2十座
式内社(名神大社)
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 流造
境内摂社(祭神)
一口メモ
国道169号線から三輪そうめんの産地で古いそれらしい蔵が点在する細い坂道を登る。邪馬台国に比定される、大神神社摂社 桧原神社も近い。纒向(巻向)遺跡にも近く、三輪山の北西麓一帯に広がる弥生時代末期から古墳時代前期にかけての大集落遺跡である。建設された主時期は3世紀で、前方後円墳発祥の地とされている。卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳などの6つの古墳を持つ。時間が限られゆっくり回れないのが惜しい。
但馬に多い兵主神社。その本拠地と思われる兵主神社として参拝したかった神社。但し、但馬の兵主神社の御祭神は多くは素戔嗚尊または大己貴命であり同名社であっても関係ない気もするが、大兵主神・兵主神とはいったいどんな神だろう。
歴史・由緒等
元は穴師坐兵主神社(名神大社)、巻向坐若御魂神社(式内大社)、穴師大兵主神社(式内小社)の3社で、室町時代に合祀された。現鎮座地は穴師大兵主神社のあった場所である。
元の穴師坐兵主神社は、垂仁天皇2年に倭姫命が天皇の御膳の守護神として祀ったとも、景行天皇が八千矛神(大国主)を兵主大神として祀ったともいう。旧鎮座地は「弓月岳」であるが、比定地には竜王山・穴師山・巻向山の3つの説がある。祭神の「兵主神」は現在は中殿に祀られ、鏡を神体とする。神社側では兵主神は御食津神であるとしているが、他に天鈿女命、素盞嗚尊、天富貴命、建御名方命、大己貴神の分身の伊豆戈命、大倭大国魂神とする説がある。
巻向坐若御魂神社の祭神「若御魂神」は稲田姫命のことであるとされる。現在は右社に祀られ、勾玉と鈴を神体とする。元は巻向山中にあった。若御魂神については、和久産巣日神のことであるとする説もある。
上記の2社は、『正倉院文書』に天平2年(730年)に神祭を行った記録があり、貞観元年(859年)に従五位上の神階が授けられた。
穴師大兵主神社については鎮座年代は不詳である。祭神の「大兵主神」は現在は左社に祀られ、剣を神体とする。大兵主神の正体については、八千戈命(大国主)、素盞嗚命、天鈿女命、天日槍命という説がある。
中世ごろから、穴師坐兵主神社が穴師上社、穴師大兵主神社が穴師下社と呼ばれるようになった。応仁の乱のときに若御魂神社と穴師上社の社殿が焼失したことから、この2社を穴師下社(大兵主神社)に合祀した。明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和3年(1928年)に県社に昇格した。
摂社として、野見宿禰を祀る相撲神社があり、相撲の祖神として信仰されている。
(ウィキペディア)
境内・社叢
(夕方近くでピンボケ気味)
鳥居・社号標 手水舎
狛犬
拝殿
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