郷社 岩屋神社
Contents
概 要
社 号 山科一之宮 岩屋神社
読み:いわやじんじゃ
所在地 京都市山科区大宅中小路町67
旧地名 山城国宇治郡
御祭神
天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)
別名正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)と称し、天照大神の太子であり、当社饒速日命の父神である。家内安全、厄除、勝運の神様として崇敬されている。
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)
高皇産霊命の女、天忍穂耳命の妃で饒速日命の御母である。別名万幡豊秋津師比女(よろずはたとよあきつしひめ)ともいい、織物に功績著しい神様で、機織り染め物関係の守護神として崇敬される。尚、子授け・安産の神様としても信仰されている。
饒速日命(にぎはやひのみこと)
前記二柱の夫婦神の皇子で、別名天火明櫛玉饒速日命(あめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)という。怪我腫物、病気平癒の神様で、交通安全祈願の神様としても崇敬されている。
例祭日 4月29日
社格等
式外社
近代社格制度 旧郷社
創建 伝:仁徳天皇31年
本殿様式
境内摂末社(祭神)
蛭子社 祭神:蛭子大神
大神宮社 祭神:天照皇大神・豊受大神
稲荷社 祭神:宇迦之御魂神
八幡宮 祭神:応神天皇、神功皇后の母子神
天満宮 祭神:菅原道真公
山王社 祭神:大山咋神
住吉社 祭神:底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の住吉三神
奥之院(別名岩屋殿)陰陽の両巨巖 本殿から約500m東
一口メモ
山科の東側山の麓に鎮座。名神高速道下の奈良街道沿い。京都橘大学の隣で、参道の左から本社横の駐車場まで行ける。奥之院(別名岩屋殿)は、時間の都合上パス。また折をみて。式内名神大社「山城国宇治郡 山科神社二座」に擬せられた時もあったが、現在は否定されている。
歴史・由緒等
本社は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)の夫婦二柱と、その皇子・饒速日命(にぎはやひのみこと)の親子三柱を祭神とする。本社の根源は、奥之院、また岩屋殿と称する本社後背山の山腹に座す陰陽の両巨巖である。これは今日の社殿様式のように、定まった参拝設備のなかった時代の石座信仰の名残であり、発祥は仁徳天皇三十一年と伝わる。後年宇多天皇の御世寛平年間に陽巖に天忍穂耳命を、陰巖に栲幡千々姫命を、また岩前小社に大宅氏の祖神として饒速日命を祀る。約一千百有余年前のことである。その社殿は治承年間に園城寺僧徒の焼くところとなり、旧記も共に失う。弘長二年に至って社殿は再建され今日に至る。現存する古代木製高麗狛は当時のものである。
また、中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社であり、西が山科神社、上は不明である。
奥之院は、本社を距たる数百米の後背山に座す陰陽の両巨巌で、宇多天皇の御世の寛平年間に(約一千年前)陽巌に天忍穂耳命、陰巌に栲幡千々姫命、岩前の小社に饒速日命を祀った別名岩屋殿なる神域である。石座信仰からすれば、奈良地代以前に遡る古い信仰形態である。近年氏子崇敬者の尽力によって漸次参道等も整備され、数十基の鳥居が奉納されて『神増其威依人』を具現している。
-『神社公式サイト』-
音羽山西麓の旧郷社で岩屋明神とも。天忍穂耳命などを祭る。宇多天皇時代の創建といわれ、治承年間(1177-81)に焼失したが、1262年(弘長2)再建。本殿の奥山に陰陽1対の岩(磐座)があり陰岩に溜った水は霊水とされる。氏子域は山科ほぼ全区にわたる。
-『京都観光Navi』-
式内名神大社「山城国宇治郡 山科神社二座」に擬せられた時もあったが、現在は否定されている。
境内・社叢
狛犬
手水舎 御神門
拝殿 本殿
<本殿右境内社>
蛭子社 大神宮社
稲荷社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
山科駅前より京阪バス大宅下車 東へ徒歩約10分
地下鉄東西線椥辻駅下車 東へ徒歩約20分
駐車場情報 自家用車30台分 無料
ホームページ 『神社公式サイト』
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