池神社(式内大 池坐朝霧黄幡比賣神社)
Contents
概 要
社 号 池坐朝霧黄幡比賣神社
通名 池神社
式内社 大和国城下郡 池坐朝霧黄幡比賣神社 (
大 月次相嘗新嘗)
読み:古 イケノ・ヨコハタヒメ、現 いけにますあさぎりきはたひめ
通称:池神社、法貴寺天満宮、法貴寺天神
鳥居扁額には「池坐神社」
江戸時代 「天満宮」
所在地 奈良県磯城郡田原本町法貴寺502
旧地名 大和国城下郡
御祭神 天萬栲幡千々比賣命(あめのよろづたくはたひめのみこと) 菅原道真公
例祭日 10月18日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
城下郡(シキノシモ) 17座(大3座・小14座)
式内社(大。月次相甞新甞。)
近代社格制度 旧郷社
創建 不詳
本殿様式 春日造
境内摂末社(祭神)
春日神社・松尾神社・梅尾神社・皇子神社・事代主神社・市杵島神社・須佐之男神社・琴平神社
一口メモ
国道24号線鍵交差点を東へまっすぐ進むと、大和川西岸の神社に突き当たった。田原本町は律令の条里制がそのまま残ったような正方形の田園が広がる平坦地帯で、由緒ありそうな社名の式内社が密集している。
歴史・由緒等
池神社は、初瀬川沿いに鎮座する。祭神は天万栲幡千千比売命・菅原道真で、明治初年ごろまでは天満宮と称されていた。現在は延喜式内大社「池坐朝霧黄幡比売神社」に比定されている。
中世の天満宮は、在地豪族長谷川党の鎮守であった。近世以降も 法貴寺の実相院が社僧として社務全般を支配した。この関係は神仏分離により法貴寺から池神社が切り離されるまで続いた。
池神社では、秋の例祭に各垣内から5台の山車が出される。山車は近世の製作で、中国古典などを題材とした彫刻が施されている。かつては引き回されていたが、現在は飾り立てて神社境内に展示するだけとなっている。
-「田原本町」公式ページ-
略記
延喜式神明帳に「池坐朝霧黄幡比売神社大月相甞新甞」と見える。
社名,祭神名の示す如く機織(幡)の神であって推古帝24年(615)聖徳太子草創の法貴寺伽藍を賜った秦氏がその祖神守り神として崇啓した古社である。
また法貴寺記録によれば天慶9年(946)9月19日北野天満宮より菅原道真公を勧請し相殿にした由が見える。古来法貴寺天神または天満宮として遍く知られており法貴寺(長谷川氏の氏寺)の鎮守神として信仰をあつめていた。全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
大和川の西岸に鎮座する。もとは「天つ神」の意味でで天神と称していたが、次第に天満宮を意味するようになった。
境内に接して法貴寺(法起寺とも書く)千万院がある。もと宮寺で、眞言宗新義派である。
社名の示すように機織(幡)の神であって推古帝24年(615)聖徳太子草創の法貴寺伽藍を賜った秦氏がその祖神守り神として崇敬した古社である。
古は盛大なる社頭であったが漸く衰退し、中古以来其在所詳かに知り難き状態になった。
法貴寺村の天神と称する社を式社と見なすようになった。「延喜式神社の調査」さん
境内・社叢
鳥居 鳥居扁額
社号標 手水舎
かつて鐘楼があった (右)神門
狛犬
拝殿 拝殿内・本殿
拝殿梁に美しい保存状態の絵馬が飾られている。
玉垣 本殿
境外社(本殿左) (本殿右)
地名・地誌
法貴寺
上記にあるように同社境内に接して宮寺の法貴寺(法起寺とも書く)から、法貴寺村となったようだ。
地 図
交通アクセス・周辺情報
近鉄橿原線石見駅下車 東へ徒歩40分
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