式内 神門(かんと)神社(豊岡市日高町荒川)
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概 要
社号 式内社 但馬国気多郡 神門神社
読み:古 カント(カムト) 近代 かむと
所在地 兵庫県豊岡市日高町荒川字村上309
旧地名 但馬国気多郡三方郷安良村
御祭神
大国主命オオクニヌシ(大国主) 武夷鳥命(タケヒナドリ) 大山咋命(オオヤマクイ)
『国司文書 但馬故事記』鵜濡渟命(うぬれぬののみこと) (神門臣の祖)
例祭日 10月10日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
気多郡(ケタ):21座(大4座・小17座)
『国司文書 但馬神社系譜伝』・『気多郡神社神名帳』記載社
近代社格制度 旧村社
創建 不詳
本殿様式 春日造瓦葺
境内摂社(祭神)
須賀神社・西宮神社
境外 舂米神社・厳島神社 兵庫県豊岡市日高町荒川字村の内
一口メモ
御由緒 創立年月不詳なれども延喜式の制小社に列し天和四年本殿を修理し明治三年山王大権 現の称呼を神門神社と改称し同六年十月村社に列し同三十三年瓦葺に屋根替したり。
境内には樹高35m、幹周5.8m、樹齢300年といわれる巨大な銀杏の木や大木がそびえ立ち、式内社としての古さを物語っている。
わが東構区の舂米(つくよね)神社は、区内の長老から聴く話によると、当時の神門神社の神官のすすめで、大正期に鳥取県若狭町舂米の舂米神社より御祭神を歓請されたのだそうだ。
本殿の裏にはご神体と思われる原生林がある。
歴史・由緒等
『国司文書 但馬神社系譜伝』
神門神社 気多郡三方村鎮座
祭神 鵜濡渟命(うぬれぬののみこと)
人皇二十一代雄略天皇四年秋九月、神門臣神人(かむどおみみわびと)これを祀る。
鵜濡渟命は、天穂日命十二世孫、神門臣の祖なり。
『国司文書 但馬故事記』
人皇二十一代雄略天皇三年秋七月 黒田大連(おおむらじ)を以って多遅麻国造と為し、府を国府邑に移す。
黒田大連は天児屋根命十九世の苗裔にして、大職冠藤原鎌足公五世の祖なり。
田大連は、天湯河板命の裔、美努連嘉摩を召して、鳥取部となし、鳥を捕らしめ、御贅(みけ)を作り、有効の諸神を祀り、神門臣を召して、神人と為す。
四年秋九月、美努連嘉摩は、その祖、天湯河板命を、国府邑に祀り、美努神社と称して奉る。(三野神社)
神門臣神人は、その祖、天穂日命12世の孫、鵜濡渟命を、神門丘に祀る。
十七年春三月朔(さく)、詔あり。土師ら、朝夕御膳に盛る清器を進応す。
是れに於いて、土師連の祖、吾笥(あけ)は、すなわち、摂津国来佐々村、山背(やましろ)国内村と俯見(伏見)村、伊勢国藤形村、及び、丹波・但馬・因幡の、私民部(うちかきべ)に進めしむ。
但馬国出石郡埴野村、養父郡土田(はんだ)村、美含郡阿故谷の贄土師部と云うはこれなり。
出雲国造家の系図
鵜濡渟命(うぬれぬののみこと)は、天穂日命を始祖とする武夷鳥命1世から12世にあたる。11世の飯入根命の子。鵜濡渟命が初代の出雲国造に朝廷から任命されている。
出雲国に神門郡がある。出雲(杵築)大社のある島根半島の西側の付け根に位置。『出雲国風土記』によれば、伊加曾然(いかそね)という者がこの地に神門を奉ったことにより神門臣の姓を賜り、その神門臣が定住したのでその地を「神門」と呼ぶようになったとされる。
神門神社の謂れは、鵜濡渟命が初代の出雲国造であることから、出雲国神門にちなんだものではないかと想像する。
建比良鳥命
建比良鳥命(たけひらとりのみこと)は、日本神話に登場する神である。『古事記』では建比良鳥命、『日本書紀』では武日照命(たけひなてるのみこと)・武夷鳥命 ・天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)と記され、天日照命(あめのひなでりのみこと)とも称される。これらの異名・異称の同定は出雲国造家として出雲神社の祭祀を受け継いだ千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』に拠っている。
『古事記』ではアマテラスとスサノオの誓約の段で、天之菩卑能命の子が建比良鳥命であり、出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造等の祖神であると記されている。
『日本書紀』では、崇神天皇60年7月、天皇が「武日照命(武夷鳥命とも天夷鳥命ともいう)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上させ、その結果出雲氏に内紛が起き、当時の当主の出雲振根が誅殺されたと記されている。
大山咋命(オオヤマクイノミコト)
大年神とアメノチカルミヅヒメの間の子である。
名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味する。『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。
(ウィキペディア)
境内・社叢
社叢 鳥居と石燈籠
手水(今は使われていない)
割拝殿
狛犬
本殿 本殿斜面
本殿扁額
入り口境内社
境内の大イチョウ
地名・地誌
荒川(あらかわ)
『三方村誌稿本』には「稲葉川の水流この付近において最も荒し。村名これに依る。」
『国司文書別記 但馬郷名記抄(第一巻・気多郡郷名記抄)』(971)
麁香(アラカ)
麁香は諸神斎場の地なり。神門臣神人(みわびと)この地に居る。天穂日命の12世孫、宇賀津久努命(1)(神門臣の祖)を祀り、これを神門神社という。
『但馬太田文』には安良川(あらかわ)
『三方村誌稿本』の通り、荒い川とも思えるし、また、神門神社すなわち麁香(あらか)が訛って安良川(あらかわ)となり、荒川と書くようになったとも捨てがたい。
『国司文書別記 但馬郷名記抄(第二巻・朝来郡郷名記抄)』(971)
粟鹿郷
粟鹿(あわが)は麁香(アラカ)にして新宮殿なり。
(1)宇賀津久努命
神門臣の祖。姓氏録(第十三巻)に天穂日命の12世孫とあり、出雲臣の遠祖、出雲振根の甥に当たる。「紀」には鵜濡渟と記す。
『校補 但馬考』
『太田文』三方郷
芝・安良川・猪子垣・広井・殿村・栗山・観音寺・森山・知見・三所