今宮戎神社
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概 要
社 号 今宮戎神社
読み:いまみやえびすじんじゃ
通称:えべっさん
所在地 大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10
旧地名 摂津国西成郡
御祭神
天照皇大神、事代主命(えびす)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、月読尊(つくよみのみこと)、稚日女尊(わかひるめのみこと)
例祭日
例大祭1月9日-1月11日「十日戎」
社格等
式外社
近代社格制度 郷社
社格制度廃止後 別表神社
創建 伝・推古天皇8年(600年)。豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として、社殿の造営を行う。同時に18石の社領を寄進し、禁制札を下賜する。昭和20年の戦災で消失。昭和31年鉄筋コンクリートにて再建。
本殿様式
境内摂末社(祭神)
大国社(1966年(昭和41年))
稲荷社(1966年(昭和41年))
一口メモ
えべっさんで知られる今宮戎。福娘は有名で、ミナミを巡行する宝恵かご行列は見た覚えがある。境内は意外と小さい。といっても大阪ミナミのど真ん中だからこうなったのだろう。
歴史・由緒等
聖徳太子の四天王寺建立の際に西方の守護神として建てられたと伝えられている。
北方に廣田神社(当社と同じ旧今宮村、現在の大阪市浪速区日本橋西に鎮座。祭神は 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命《つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと》。創建時期不詳。)があり、関係が深い。ちなみに、兵庫県西宮市の廣田神社と西宮神社(廣田神社の南宮と呼ばれたとの説がある)も同じような位置関係にある。
京都市東山区の八坂神社の蛭子社(北向蛭子)から分祀した。八坂神社の氏子が今宮に移り住み、現在の地に祀ったことに始まると言われている。そのため、双方の神社は交流を続けている。
『神社公式サイト』http://www.imamiya-ebisu.jp/
天照皇大神・事代主命・外三神を奉斎しています。創建は推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立されたときに同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始めと伝えられています。
戎さまは、ご存知のように左脇に鯛を右手に釣竿をもっておられます。そのお姿は、もともと漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴しています。当社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中期より朝役として一時中断があるものの宮中に鮮魚を献進していました。
またこのような海辺で物資の集まりやすい土地では、海の種々の産物と里の産物、野の産物とが物物交換される、いわゆる「市」が開かれますが、当社でも四天王寺の西門に「浜の市」が平安後期には開かれるようになり、その市の守り神としても当社の戎さまが祀られるようになりました。
時代が経るに従い、市場の隆盛は商業を発展させますので、いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになりました。
室町時代以降庶民の信仰はより厚くなり、また大阪の町も発達し、大阪町人の活躍が始まります。江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、さらに元禄期になりますと十日戎の祭礼を彩る宝恵籠の奉納も行われるようになり今日と同じような祭礼となりました。
現在では、1月9・10・11日の三日間の祭礼で約100万人の参詣者があり、大変な賑わいをみせてくれます。
時代とともに十日戎の祭礼も盛大になってゆきますが、それは古代から大阪の人々が戎さまを親しく崇敬し、親近感のある神様として尊崇した歴史であり、まさしく大阪の庶民生活の積み重ねが十日戎に投影されたもののように思われます。
-『神社公式サイト』より-
境内・社叢
鳥居 東門
手水舎
狛犬
拝殿 本殿地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
南海高野線 今宮戎駅 又は赤バス戎神社前東すぐ
南海本線には駅(ホーム)が無いので注意。和歌山市方面からは新今宮駅又は難波駅での乗り換えとなる。
阪堺電気軌道阪堺線・大阪市営地下鉄堺筋線 恵美須町駅 西300m
大阪市営地下鉄御堂筋線・四つ橋線 大国町駅 東450m
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