式内 久佐々神社
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概 要
社 号 式内 久佐々神社
式内社 摂津国能勢郡 久佐々神社
読み:古 クサ、現 くささ
江戸時代享保年間(1720年ごろ)、宿野大明神と改め、更に享保18年8月、正一位久佐々神社と復称した。
所在地 大阪府豊能郡能勢町宿野274-1
旧地名 摂津国能勢郡
御祭神
賀茂別雷神(カモワケイカヅチノカミ)
合祀 猿田彦命 大歳神 速素戔嗚尊 応神天皇
例祭日 5月16日 例祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
能勢郡(ノセ):3座並小
近代社格制度 旧郷社
創建 和銅6年(713年)創建
本殿様式 春日造
境内摂末社(祭神)
一口メモ
大阪府最北にある式内社。大路地川の北岸近く府道54号線に面して鎮座している。
歴史・由緒等
由緒
当社は和銅6年(713年)創建、延喜式内の能勢三社の一つの神社で官幣小社に列せられ、昔から大宮と称し、近郷の崇敬厚く、草々明神とも云われた。社名は古来から地名に因んで久佐々神社と称したが享保年間(1720年ごろ)、宿野大明神と改め、更に享保18年8月、正一位久佐々神社と復称した。
地名の久佐々は「日本書紀」巻十四巻雄略天皇の条「摂津国来狭々村云々」と見え、「続日本紀」巻六元明天皇の条「玖左佐村山川遠隔道路嶮難、由是大宝元年始建館舎、雑務公文准一郡例云々」とあり、当社はこの館舎の地であり、郡司によって奉斎せられたものである。
明治5年、郷社に列せられ、同41年5月、神饌幣帛料供進社の指定をうける。明治40年、大字宿野、大里、柏原、片山、平通、下田の各神社をここに合祀した。全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
延書式内社で賀茂別雷神を祭神としている。
「日本書紀」「続日本紀」にある来狭々村、玖左佐村はこの付近を中心とした地域で能勢郡の郡館が設けられたところであり、また贄土師部がいて朝廷の膳部の清器を献上していたので、古くは土師部の祖天穂日命を祀っていたともいう。
境内には立春に花開く一華草(セツブンソウ)かあって江戸期叡覧の後尚書に命じて記されたとある。
能勢町観光協会
昭和60年5月立
社頭掲示板-阜嵐健『延喜式神社の調査』さんより-
境内・社叢
社叢 社号標(道渕)
古い社号標(鳥居前) 社頭掲示板
鳥居 鳥居扁額
手水鉢 境内の手水鉢(使われていない)
狛犬
随神門 拝殿
拝殿
本殿
能舞台(舞殿)
本殿左境内社
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