式内 名次神社(廣田神社境外摂社)
Contents
概 要
社 号 名次神社
式内社 摂津国武庫郡 名次神社(鍬靱)
読み:古 ナツキ、現 なつぎ
所在地 兵庫県西宮市名次町5
旧地名 摂津国武庫郡
御祭神
水分大神(みくまりのおおかみ)
『神社要録』『特選神名牒』祭神詳かならず
『神名帳考証』祈雨神
例祭日 10月11日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
武庫郡(ムコ):4座(大2座・小2座)
式内社(鍬靱)
近代社格制度
社格制度廃止後
創建 年代不詳。名次山の中央景勝の地にあつた。明治41年5月現位置に移転
本殿様式 流造
境内摂末社(祭神) 稻荷社
一口メモ
夙川沿いの閑静な高級住宅街をぐるぐる探しまわり、川沿いに小さな丘にあった。
歴史・由緒等
古来より衣食住に殊の他関係深い水分神を奉祭すると特に雨乞いに霊験あらたかなる社であります。御創立の年代はつまびらかではありませんが、第56代清和天皇貞観元年正月正5位下の神階を授けられ、同年9月8日風雨御祈りのため、勅使を参向せられ、幣帛を奉られています。
第60代醍醐天皇の延喜の制大社に列せられ、月次、新嘗及び祈雨の幣帛を奉られています。旧本殿は石造りで中御門天皇正徳5年正月再建、又石鳥居は元禄5年の建立であります。名次山はわが国最古の歌集万葉集巻3に「吾妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ」高市連黒人によって詠まれ、すでに1200年の昔より、名勝地として名高く現名次町は古昔の名次山であり明治末期まで当神社の境内地でありました。かって当神社は名次山中央の景勝地に鎮座されていましたが、明治41年5月その北端の現位置に移転されました。
「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居 手水舎
石柱 名勝名次山とあるが、神社と共に移転したものだろう
社頭由来掲示板
拝殿 本殿
社殿 境内社(本殿右) 稲荷社
地名・地誌
名次(山) なつぐ。古くは「なすき」と読まれた。
今の名次町の殆どが含まれたという名次山であった。阪急夙川から苦楽園は夙川沿いの閑静な住宅街となっている。
越水丘陵の名次山・南郷山一帯からは弥生時代の遺跡が数多く発見されていることから、古くから神祀りの聖地であった推測されている。
「我妹子わぎもこに猪名野(ゐなぬ)は見せつ名次山(なすきやま) 角(つぬ)の松原いつか示さむ」万葉集巻第三
地 図
交通アクセス・周辺情報
阪急甲陽線苦楽園口の北東約400m
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