式内 智伊神社
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概 要
社 号 式内 智伊神社
式内社 出雲国神門郡 智伊神社
読み:古 チイ、現在 ちい
江戸時代は「知井宮六社大明神」と称していた
延喜式神名帳
所在地 島根県出雲市知井宮町1245
旧地名 出雲国神門郡
御祭神
高皇産靈神(たかみむすびのかみ) 配祀 埴安姫神(はにやすひめのかみ)
例祭日 4月15日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
神門郡(カムト):27座(並小)
『出雲国風土記』「知乃社」「又比布知社」
近代社格制度 旧郷社
創建 天平5年(733)『出雲国風土記』に「知乃社」と記載があるのでそれ以前。宝暦7年(1757)現在地に遷宮。旧社地は現社地の1.5Km東北にある字東原の多聞院隣
本殿様式 大社造変態 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
式内社
出雲国神門郡 同社坐神魂子角魂神社 比布智神社 神魂子角魂神
金刀比羅社・春日社、大城稲荷社、稲荷社、他
一口メモ
国道9号線とJR山陰本線にはさまれた丘の上にある。地名の知井宮町となった古社。
歴史・由緒等
当社は延喜式神名帳(927年)に智伊神社、出雲風土記(733年)に智乃社とある創立年間不詳であるが三代実録清和天皇貞観10年(869年)9月21日辛亥出雲国正六位智伊神社授従五位下、同13年11月11日壬午出雲国従五位下智伊神社授従五位上とある、又雲陽誌に文禄年中本社炎上し縁起神宝悉く紛失したとある。
宝暦5年(1758)に現在の多聞院南隣に鎮座あるを現在地に移転したもので本殿は今から230年前のものである。
当社は出雲大社と如何なる由縁があるか解せぬが大社造営の節には旧社の拝字を智井の社司に賜ったとの記録がある。しかしこれも寛文年中(1661)大社造営以来行われていない。「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居・社号標 手水
狛犬
随神門 拝殿
本殿
本殿左手境内社 金刀比羅社・春日社 式内 同社坐神魂子角魂神社?
本殿右手境内社 比布智神社、稲荷社 右上 大城稲荷社
地名・地誌
知井宮
神戸川以南が神門郡で神戸(かむと・かんど)と神門は同名異字で神社に携わる神人が所在した郷は神戸といわれた。智伊神社が『出雲国風土記』では知乃社とあることから、当初は「知」一文字が地名であったと思われる。「ち」が何を意味するのかは分からない。江戸時代は「知井宮六社大明神」と称していたから、知井宮町となったのであろう。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式の調査」さん、他
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